Cool Fire II

No Pair


 私はアズサ。つい最近まで、普通の女子中学生だった。語学が苦手なのと、科学が好きなところ以外、特に変わったことはなかった。タガメらしき生き物を水路で発見し、採集しようとして水路に落ちたのはこの際置いておく。日本最大の水生昆虫にして、日本最大のカメムシであり、現在急激に数が減少している生き物を見つけて、放って置く人間の方が少ないだろう。とりあえず、私は普通の中学生だったということだ。
 しかし、妖界という異世界の王様の気まぐれで召喚されたのが運の尽き、メルヘンのメの字も無い妖界の城で、暮らすことになってしまった。
 妖界城。この城では、殺されたら、殺された奴が悪い、という感覚であるということや、食べ物に毒はあたりまえのような入っていることや、王の遊びに強制的に参加させられることなど、様々なことに耐えなくてはいけない。殺伐すぎて、陰謀などが渦巻いていないことだけが、唯一の救いだ。
 そんな私はの職業は妖界王女、アンさんの騎士。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
 では、私は何をしているのか。
 それは、暇潰しに城の兵士を攻撃したり、怪しげな薬を兵士の食事に混入したりしようとしているアンさんを止めること、というとても重要且つ難しい仕事である。
 私は、妖界王の召喚の手違いで、世界から飛ばされてしまった。それまでは普通の学生だったのに。でも、妖界王は(デンジャラスだけど)親切だし、アンさんは(傍若無人だけど)多分良い人だから、凄く楽しい毎日を送っている。
 立太子式が終わった後、私はアンさんに尋ねられた。
「アズサ、どこまで私に着いて来る?」
 いつものように突然現れたアンさんは、わけの分からない質問をした。
「どういうことですか?」
 そう聞き返すと、アンさんは続けた。
「私の齢は、千を超えている」
「千ですか?」
 思わず聞き返してしまう。見た目は同じぐらいの年だ。
 千を越えるということは、人間ではないと言うことだ。しかし、妖界王やレイリアさんの姿を思い描くと、何故か納得してしまう。(あの二人は、私の中では既に人外の領域にあった)
「人間じゃない。そこで、提案がある」
 アンさんは、ゆっくりと言った。
「魂精霊にならない?」
「魂精霊って何ですか?」
 精霊って、あのファンタジー小説などに出てくるあれですか。ということは、体が小さくなって、アンさんの周囲を浮遊できるのでしょうか。
「主の魔力を糧に生き、主が死ぬと同時に死ぬ。普通の精霊とは、全く別物……別に体が小さくなるわけではない」
 読まれた。私は、もうこの際何も言わず、アンさんの話の続きを聞く。
「もし、アズサが魂精霊になるならば、アズサは妖界に来なかったことになり、魂精霊になったアズサも、里帰りができる。ただ、数万年の時を過ごさなければいけない」
「数万年ですか」
 里帰りが出来るのも、来なかったことになるのもありがたい。しかし、数万年は長すぎる。
 私は戻ることは諦めていたが、私の生まれた世界に戻って、両親に会いたいとは思っている。
「無理してついてこなくても良い。重荷だ」
 私はゆっくりと息を吐いた。しかし、私に、選択肢は初めから無かった。
 私はこの世界で生きていかなければいけない。
「アンさん、着いていって良いですか」
 そう尋ねると、アンさんは驚いた顔をした。そんなに驚くことなのか、と私は思いつつ、続ける。
「辛いかもしれません。ですが、辛くても、私は幸せの多い道を選びます。私はそういう人間です」
 私は大したことのない人間だから、今さら流れに逆らおうとは思わない。大体、アンさんが若いままで、ここで老いていくなんて想像できない。アンさんに迷惑がかかるだけだし、アンさんの迷惑になるのは嫌だ。
「精霊石という石がある。市場に出回るような石じゃない。だけど、この前、チェスで勝った時に貰った」
 私は、チェスゲームの後、レイリアさんが投げた小袋をアンさんが受け取っていたのを思い出した。
「あと、アルテミアの分もあった。アルテミアは、つい先ほど、魂精霊になったばかりだ」
「アルテミア君はどう思っているようですか?」
 私が尋ねると、アンさんはすっと目を細めた。
「細かいことを考えるのが面倒らしい」
 アルテミア君らしいというかなんというか、と私は思った。
 アルテミア君は理性的な顔立ちだし、妖界城の中でもかなり賢い。(妖界城では、言語が理解できる者が少ないので、言語が理解できるだけで賢いのだが)
 しかし、最近、私はアルテミア君が実はあまり考えずに行動していることに気付いた。彼は、何となく流されていて、何となく苦労を被って無くて、何となくのんびり生きている。しかし、実はあまり深く物事を考えていない。
 今回も流された彼と同じ選択をしても、絶対にアルテミア君のように無難には生きられない自分を呪った。思えば、アルテミア君、恐怖の巨大チェスゲームの時も、取られることもなく最後まで残っていた気がする。
 アルテミア君の分の難まで背負っている気がしてならない。
「この時代で、精霊石を使えば、この時代のアズサという人間はいなかったことになる。よって、アズサはここに来なかったことになるから、この時代には魂精霊のアズサが残って、未来では、アズサがここに来なかったことになる」
「つまり、私が元いた時代までいくと、これから魂精霊になる私の他に、ここに来なかったアズサがいるということですね」
 家族や友人の問題も解決する。勝手に消えて、心配しているだろうが、それよりも、教室から突然消えて驚いているだろう。
「そういうこと。家族と対面するとなると、彼女にもしっかりと説明しないといけないけど、アズサだったら事情も理解できるでしょう」
 まぁ、確かに証拠を見せて話したら、納得しますけどね。


 かくして私は魂精霊となり、長い長い時を過ごすことになる。私はたくさんの人と出会い、たくさんの人を見送った。歴史に名を残すことになる人々と交わった。そして、私自身も、歴史に名前を残すことになる。


 そんな私は、一枚の紙と向き合っていた。
「アズサ、何故、書けない?」
 万年筆片手に唸る私に、アンさんが目を細めながら尋ねる。
「箇条書きならば書けます」
 私は、自然を操る魔法について、自分が調べたことや考えていることを本にすることにした。魔法の全てではなくて、ほんの一部だけど、この本を読んで、一緒に魔法原理について語ってくれる人ができるといいな、と思っている。
 しかし、進まないのだ。頭では理解しているのだが、文章にならない。
「魂精霊になって良かったね。三日かけて一ページも進んでいない」
 目の前の紙には、タイトルしか書かれていない。否、タイトルしか書けていない。
「言わないで下さい。分かってますよ、自分が作文が苦手なことぐらい」
 私は語学が苦手だ。壊滅的だ。そして、自分の中の苦手意識が、さらに文章を書けなくしている。悪循環だ。
「喋ることができるのに、書けないのはおかしい。同じでしょ?」
 アンさんは嘘を吐かないし、私に対して敵意があるわけではない。純粋に疑問に思って尋ねているのだ。
「違います……嗚呼、何で私は……」
 私は力なく机に突っ伏す。
 作文。それは小学生の時から、私の敵だった。

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