The Night Monarch
Black Responsibility


 闇に包まれた森の中で、サクはただ前を見据えていた。クリスとジェイクは、エルフたちに任せた。自分は目の前に佇む少年、従兄弟の中に入ったスフィアと戦わなければいけない。
「サク、サク、君は本当に困った子だね」
 スフィアは青い瞳をきゅっと細めて、幼子に言い聞かせるようにそう言った。サクは何も言わずに、スフィアを見た。サクはスフィアが嫌いなわけではない。憎悪の対象であるわけでもない。しかし、スフィアがサクを嫌っているのは明らかだった。
 そして、サクは、普段と変わらぬ様子を見せながらも、手にはしっかりと小杖を握っていた。杖がなくても魔法は使えるが、本格的に魔法の戦いをする時には、杖は必需品だ。
「僕たちには、君を否定する材料が見つからないんだ。君を叱る理由も見つからないんだ。上手く立ち回ったね」
 スフィアは一人で喋り続ける。サクは普段と変わらぬ目を、スフィアに向けていた。
 サクは立ち回りが下手なわけではなかった。四界に体を乗っ取られた人間と一定の距離を保ながら、彼らの命令に従っていた。身の回りに助けを請う者がいれば助けたし、それによって自分の立場を危うくすることもなかった。
「君はいつだって目的がないんだ。エルフを助けるのにも、僕たちから逃れる理由もね」
 スフィアは、夜を背景に、仄かな光を漂わせる。サクはゆっくりと息を吸った。
「助けを求める者を助ける。自分のことは、自分で決める」
 声はしっかりとしていた。一点のぶれもなかった。しかし、サクの言葉に、スフィアは嬉しそうに口元を歪めた。
「君って自主性がないよね」
 従兄弟という立場を利用して、スフィアはいつもサクを挑発していた。エフィアやカナンのような、近い立場では、逆にできないようなことだ。しかし、サクは適当に聞き流していた。スフィアは言いたい放題言えるが、サクを従わせることはできない。
 サクは冷静だった。ゆっくりと息を吸う。真剣に魔法を使って、スフィアの相手になるなどということを、思ってはいなかった。スフィアに隙ができたところを、一気に叩く。サクにはその準備ができていた。しかし、その状態が続くことはなかった。
「闇を統べる姫君が、君を愚弄した理由がよく分かるよ」
 スフィアは何か特別なことを言った気がしていないようだった。しかし、ぐらり、とサクの中で何かが大きく揺れた。周囲の木々のざわめきが大きくなる。
「確かにあんたの言う通りだ。だけど、あんたに言われる筋合いはない」
 いつになく声は強かった。否、その声には確固たる芯があった。
 闇を統べる姫君は、四界を認めていたのか。否、彼女は何れ、妖界の玉座に座ることになる者だ。彼女はいつだって、自分のことだけしか信じていなかった。
「愚かだね」
 スフィアはせせら笑った。愚かなのはどちらだ、とサクは思った。
 世界が歪み始める。空気の収束。魔法が使われそうになっている。サクは目を細めた。輝く光の魔法。セイハイ、否、四界が最も得意としている魔法だ。サクは静かに息を吐く。ここまで集まった魔力を野放しにするのは危険だ。魔法の発動を待たなければいけない。
「僕は君の歳にも満たない頃に、こうして魔界となった。その頃、意志のなかった自分を悔やみ、君の歳では既に僕は変わっていた」
 エフィアの言葉は、サクにとってはどうでも良いことだった。灰色のローブを靡かせ、青には夜を映す。
 周囲が輝き始めた。陽光とかけ離れた、強く輝く青白い光。サクは用意していた闇の魔法に力を篭める。相殺するのではない。闇は光と相反している。サクは、闇を操ることにより、光を操ろうとしていた。
「君はいつまでたっても揺れ続ける。意志は定まらない」
 ぐにゃりと世界が歪み、青白い閃光が闇を貫く。サクは、光を一点に集めず、発散させるように闇を操った。
 光は次々と折られ、外へ流れるようにして消えていく。しかし、強力な魔法だ。サクは舌打ちした。自分の力だけで、どうにかなる物ではない。強い光は、ただ強くなっていくばかりである。
 突然、強く体が引っ張られ、一瞬だけ、光が消えた。後ろに倒れこみ、がさりとした落ち葉の上で引き摺られる。視界には木々の狭間から覗く夜が見える。ゆっくりと起き上がると、そこは茂みの中だった。
「兄上、お怪我はないでしょうか」
 セリ・セイハイ。見慣れた妹の顔を、サクはじっと見つめた。
 セリも、サクには劣るものの、優秀な魔法使いである。特に、セリは魔法を消す力が強かった。強力な魔法だ。全てを消すことはできなかっただろう。しかし、逃げるのには十分だったのだろう。
「私は大丈夫だよ。ありがとう、セリ」
 サクは微笑んだ。セリが森の中に出てきているのには、驚いていた。しかし、流石のセリも、雷の国の異変に気付くだろうと、思った。
「セリ、私は急いでいるんだ」
 セリが殺されることはないだろう。セリは守られる存在だ。囚われたままで、何かを失うことはない。しかし、自分が仕掛けられた魔法に囚われてしまったら、失うものは大きい。
 しかし、セリはいつものように、納得いかず、悲しげな表情を浮かべながら、引き下がることはなかった。サクはふらりと立ち上がって歩き出そうとしたところを、強く腕を引っ張られる。
「兄上、あなたは何を隠しているのですか」
 セリの青は酷く透き通っていた。しかし、その光は強かった。落ち着いてはいるが、必死だ。サクは驚いた。いつだって、セリは自分が置かれた状況に甘んじていた。
 サクは離して、と優しく言い、微笑んだ。しかし、腕はさらに強く締め付けられるだけだった。そして、向けられる双眸には、夜が映っていた。
「突然、見えないものが、見たくなりました」
 その言葉から、思い浮かんだのは、緋色の長い髪を靡かせ、夜の中で穏やかに笑う女。雷の国に夜が来た。光を持ったセリの瞳。それは、青白いぼんやりとした光ではない。強く、しかし暖かい光だ。それは、夜だからこそ際立つのか。それとも、夜が来たから光り出したのか。
 サクには答えは出せない。ただ、夜が光らせた、ということには確信を持っていた。
「初めて、言いつけを破って森の中に入りました。エルフの方々とも話しました」
 サクは黙っていた。セリは、そこまで言い終わってから、小首を傾げた。
「フヨウ様のところに行かれるのですか」
 サクは微笑を浮かべながら、頷いた。少なくとも、サクがいるべき場所はこの国ではない。この国を出て、フヨウたちと合流して、フヨウに対する違和感を暴く。世界は灰色だった。しかし、夜が来た。しかし、それに快感がない。その理由を、サクは突き止めたいと思った。それがサクの中での、唯一のものなのだ。
「私はまた一人ですか」
 セリは再び尋ねた。悲しそうな表情ではなかった。強い何かがあった。
 一人。その言葉にサクは引っかかった。しかし、その答えはすぐに出た。セリは知っていたのだ。今はもう、家族はサク一人ということに。サクには信じられなかった。しかし、そうとしか考えられない。
「気付いていたんだね」
 セリは微笑んだ。
「気付いていたと言えば、嘘になるでしょう。しかし、疑ったことは何度もありました」
 腕は解放された。しかし、サクはセリが口を開くのを待っていた。セリは、自分の中で何かを決めている。サクには確信があった。
「兄上、あなたは外で生きて下さい。あなたにはその権利があります。私は、もう少しここで戦ってから、外に出たいと思います」
 セリの出した答えだ。セリは決して要領の悪い方ではない。セリは戦える。
「フヨウ様に、宜しくお伝えください。兄上、フヨウ様にご迷惑をお掛けしないようにして下さいね」
 駆け出したと同時に、木の葉のざわめきの合間から流れてきた言葉は、静かな笑い声が混じっていた。


 あともう少しで森を抜けられる。巨木や岩の位置を確認しながら、サクは走っていた。そんな時、いきなり地面が沈んだ。体制を崩し、前のめりになり、横に倒れる。そして、そのまま根の上を転がるように落下する。体が叩きつけられ、激しい痛みに襲われながら、サクは起き上がった。正しくは立ち上がろうとしたが、僅かに足を動かした時に、強い痛みが走った為、そのまま起き上がるだけにした。
 目の前に聳えるのは崖。サクの身長以上の高さがある。背後を振り返ると、森が広がっている。しかし、そこを通るのは方向的に無理だろう。
 サクはこの崖を知らない。おそらく、サクが雷の国を出てからできた崖だろう。魔法が発動するまであと僅かだろう。サクは焦る気持ちを抑え、打開策を探る。しかし、立ち上がるのも難しい今、この状況を打破できるとは到底思えない。
 木々のざわめき以外に何も聞こえない。しかし、すぐに背後の森の中から、がさがさとした音が響いてきた。
「あんた何してんのよ」
 向けられたのは空色の双眸。クリスだ。サクが礼を言う暇もなく、クリスはサクの肩を持った。それは、足を痛めていた方の肩だった。
 クリスは走り出す。当然クリスの方が身長は低いが、それほど差はない。クリスは道を完璧に把握しているのか、森の中を走っていった。崖を登らなくても、森は抜けられるらしい。
「別に絶大な信頼とか要らないわよ。似たもの同士なんだから、少しぐらい手伝わせてくれたって良いじゃない」
 気付いていたのか、とサクは思った。クリスとサクは打ち解けることは不可能だろう。それはお互い分かっている。力強い一歩に支えられ、サクは前に進む。
「エルフの人たちが、あんたが崖から落ちないか心配してたのよ。ここは、あんたがいない時にできた新しい崖らしいからね」
 つまり、あんたは悪くないのよ、とクリスは笑顔で言った。


 フヨウは森のすぐ外で、エルフやジェイクと薪を囲っていた。
「傷口が塞がってきていますね」
 エルフの一人が驚いたように言う。フヨウは自分の傷口を見た。出血量は凄まじいものだった。しかし、確かに傷は塞がり、治りかけている。
「体が丈夫なんだよ」
 フヨウは微笑んだ。出血が酷くて頭が重かったのも、良くなっている。肩は未だに痛いが、動かせるぐらいだ。フヨウは、ここにサクがいなくて良かったと一瞬思ったが、すぐに考え直した。サクとクリスは、未だに森の中だ。
「人を心配するのは久しぶりだ。体に堪えるね」
 フヨウは黒々とした森を見た。サクはスフィアから逃げ切れただろうか。締め付けられるような重い何かを、フヨウはひしひしと感じていた。
「久しぶりじゃなくても辛い」
 ジェイクは薄らと笑みを浮かべた。フヨウはジェイクを見た。ジェイククリスが共に行動する理由を、フヨウは知らない。しかし、何か二人ともあるのだろう。
「浅はかなことを言って悪かったね」
 心配で辛いのは、ジェイクも一緒だ。周囲を見渡せば、明るい顔をしている者は誰一人ともいない。
 そんな中、突然、がさりと木々が動いた。緑の合間から勢い良く飛び出してきたのは、息の切れたクリスとサク。疲れたような安心したような笑みを広げ、滑り込むようにしてフヨウたちのところへ走ってきた。
 クリスはサクを投げ出すようにして、フヨウとジェイクの元に駆け寄った。
「無事で良かったわ」
 顔は汚れていた。疲れているだろう。しかし、その笑顔は輝いていた。
「怪我をしているようだね」
 フヨウはクリスをジェイクに預けるようにしてその場から離れ、少し離れたところにいたサクの足を見た。
「私よりもあんたの方が、酷そうじゃないか」
「私は私と言われるような人間ではないよ」
 フヨウは穏やかに笑いながらも、すぐに切り返した。
 私。フヨウは自分の中で何かが揺れたのにすぐに気付いた。浮かんだのは、明るい少年の笑顔。
 不審そうにサクが自分を見ていることに気付いたフヨウは、穏やかに笑いながら言う。
「ランシア嬢は強かったよ」
 ランシアは強かった。フヨウの実力で勝てる人間ではない。サクは、何かを悟ったように、再びフヨウの傷口を見た。
「そういえば、余計なお世話」
 サクはにやりと笑った。フヨウは何のことか思い出すのに少しかかったが、それほど間を空けることなく言った。
「それが貴殿の答えか」
 良いところをついている、とフヨウは思った。それをサクが悟っているかは分からない。
「次は空の国に向かうらしいね。空の国。高原地帯の国だったかね。寒さは苦手なんだが、今の季節ならば、それ程寒くないだろう」
 フヨウは森を見た。世界は、淡い青色に変わりかけていた。

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