The Night Monarch
Shooting Star
雷の国の北に、空の国がある。高原地帯で、滅多に雪が降ることは無いが、涼しい地方である。
エルフと別れたフヨウたちは、徒歩で山を登り、空の国の首都を目指した。
雷の国の件は、全員がその全容を把握していたわけではないが、敢えて誰も話に出さなかった。ジェイクは、クリスの口利きだろう、とフヨウは思った。
空は限りなく青い。フヨウは天を仰いだ。道中は、寒さに震えて周囲を見る余裕など無かった。空の国の治安が良いのは幸いだ。
「本当に寒さは苦手なんだ」
それに真っ先に気が付いたのは、当然サクである。山の中腹辺りから、寒そうな仕草を目ざとく見つけ、そう言った。
「貴殿は寒くないのかね」
フヨウはマントをさらにきつく体に巻きつけ、小道を歩きながらサクに尋ねる。サクは、涼しくて気持ちが良いよ、と言って微笑んだ。風景を堪能しているのか、余裕の笑みを浮かべながらゆっくりと周囲を見渡している。
冷たい空気は、フヨウの体を冷やし続ける。しかし、周囲を見渡せば、サクが上機嫌な理由も分かるほど、美しい青空と、若葉が広がっていた。フヨウは寒さが苦手な自分を、心底恨んだ。
「暖かい地方の出身かな」
サクはそう尋ねた。
あちらこちらから聞こえてくる鳥の囀り。そして、背後から聞こえてくるのは、クリスとジェイクの騒ぎ声。そんな中で、寒さを堪えながら、フヨウはサクを見た。いつになく上機嫌である。
「熱いのも苦手だよ」
事実だ。フヨウがさらりと言うと、間髪入れずにサクは返す。
「あんたの弱点は気温ってことかな」
フヨウはサクの顔を見た。薄らと笑みを浮かべているが、容赦ない光を持つ瞳。冗談ではない。この男は、正体の未だ知れないフヨウに対して、さらに警戒心を強めている。打ち解けることと、警戒心を緩めることは、対極の位置にあるわけではない。
「間違いではないだろうね」
フヨウは穏やかに笑いながら、ゆっくりと息を吐いた。
サクはフヨウを信用しているが、信頼はしていない。雷の国で、サクの精神が強くなったとは、フヨウには到底思えなかった。むしろ、責任と束縛を逃れたサクは、さらにゆらりと揺れ続けているようだった。
空の国は、木でできた家の立ち並ぶ、美しい町だった。家々の狭間から見える景色は壮観だ。しかし、寒い。フヨウは、財布を管理するサクをせかし、早く宿を取るように言った。意外にもサクは、あっさりと受け入れ、近くの鍛冶屋や道具店の店員と少しばかり話した後、すぐに二人部屋を二つ取ってきた。
フヨウは宿で篭っていようかと思ったが、クリスの勧めで、厚手のコートを一着買って観光をすることになった。フヨウは、コートに払うお金が勿体無いと思ったが、元々部屋の中でじっとしていることが苦手なことも相成って、クリスの言葉に甘えることにした。
サクが探してきた適当な服屋で、フヨウは空色のコートを買った。クリスは、フヨウに緑系統のコートを勧めたが、フヨウは空の国と、クリスにできる限りの敬意を払おうと思い、空色を選んだ。状況の読めないジェイクは純粋に驚いていたが、サクはすぐにフヨウの心を察したようで、貼り付けたような微笑を浮かべていた。
仕事は責任を持って、立派に成し遂げるサクと、コートの代金の半分を負担してくれたクリスに、フヨウは丁寧にお礼を言った。
暖かいコートで身を包み、ふらりとフヨウは店を出た。天は限りなく高い。どこへ行こう、と騒ぎ始めるクリスとジェイクを見てフヨウは微笑む。そんな時、勢い良く銀髪の少女が走ってきた。歳はフヨウと同じぐらいだろうか。藍色の瞳は、僅かに吊り上っていて、口元は堅く結ばれている。
どうしたりか、とフヨウは少女を見ていた。少女はフヨウたちのところへ走ってくる。そして、空を見ていたサクの背に、勢い良くぶつかった。
「ヒュー様、どこにいらっしゃったのですか」
サクは狼狽することもなく、かと言って怪訝そうな顔をすることもなく、穏やかな笑みを浮かべながら振り返って少女を見た。フヨウやクリス、ジェイクも一瞬驚いたが、フヨウとクリスはサクの表情から、人違いだと悟った。
「人違いでした。すみません」
サクの顔を見た少女の顔は、さっと青ざめた。
フヨウたちの予測は正しかった。サクは、冷ややかな目をフヨウに向けたが、フヨウは穏やかに笑ってそれを流した。サクと反対方向を向いていたフヨウが、少女に気付かないはずが無い。
「危害を加えるとは思っていなかったからね」
あの少女は、おそらく探し人に対して怒っていた。サクが人を怒らすようなことはほとんど無いだろう。フヨウにとっても予想外だったのだ。
少女は未だにサクに謝り続ける。フヨウはクリスの顔色を窺った。クリスの口元がしっかりと弧を描くのを確認する。
「人探しかな。良かったら、手伝わせて頂けないだろうか」
フヨウはゆらりと礼をし、手を差し伸べた。少女は、明りを灯ったかのような顔を上げ、良いのですか、と聞き返した。よほど苦労をしているのだろう、とフヨウは思った。
勿論、と頷けば、クリスもそれに同調する。ジェイクは、観光は、などと間の抜けたことを言う前に、サクに止められていた。
「私は、フヨウ。旅の剣士だ。銀髪の魔法使いがサク殿、空色の瞳の女性がリリー嬢、その隣がジェイク殿だ。皆訳あって旅をしている」
フヨウは穏やかに笑った。クリスの明るい挨拶、サクの穏やかな微笑み、ジェイクの爽やかな笑顔が後に続く。
「私はカリナです。空の国、ランゴク族、第三家四女。探しているヒュー様は、ランゴク族、第一家次男です」
第何家、という言葉に首を傾げるクリスとジェイクに、少女、カリナは説明した。第一家とは、宗家のことで、第三家は二番目の分家だと。流石のクリスとジェイクも、宗家と分家の意味は分かるらしく、一回の説明で理解をしたようだった。
そして、分かれて探そう、ということで、フヨウはカリナに付き添い、クリスとジェイクが二人で、あとサクが一人で捜しまわることになった。ヒューと言う男は、カリナと同じぐらいの年の青年で、黒いローブを纏っているらしい。フヨウは、クリスとジェイクが人違いをしてしまうことが心配だったが、天界人という事情を知らないカリナに、二人を任せるのは危険だ。
「ヒュー様は、すぐにふらりとどこかに行ってしまわれるんですよ。探す者のことも考えて欲しいです」
そう言いながら溜息を吐くカリナが、悪い者だとはフヨウには到底思えなかったが、カリナに知られることは、良いことだとは言えない。ゆったりと歩きながら、フヨウは周囲の青空も楽しむ。
結局、町中を歩き回ったが、ヒューは見つからなかった。赤くなった世界の中、パン屋の前に、合流したフヨウたちはいた。
「見つかりませんね。こんなに探すのに長く掛かったことはありません」
カリナは一番疲れた顔をしていた。クリスやジェイクは、けろっとしていたところを見ると、しっかり観光もしてきたのだろう。サクは普段と変わらない表情で、空を見ていた。
「皆さんはお戻り下さい。ここまで付き合って下さって、本当に感謝しています。申し訳ない気持ちで一杯です」
カリナはすみません、と謝る。クリスが慌てて、気にしないで、と言った。一番大変なのはお前だろう、とジェイクは苦笑いした。
「貴殿はどうするのかね」
フヨウは尋ねた。これから、一人でふらつくのは、治安の良い空の国だとしても、危険だ。
「私も家に帰ろうと思います。明日、何食わぬ顔で戻ってきた時には、ただでは済ませません」
悪戯っぽく、にっと笑ったカリナに、フヨウは安心した、と笑い、丁寧に一礼をし、立ち去った。
宿で、三人が寝静まったのを確認してから、フヨウはふらりと外に出た。音無く階段を降り、宿の扉を開けて夜の世界に出る。ほとんどの家の灯りは消えている。フヨウは何かにぶつかることなく、ゆったりと道を歩く。
澄み渡る夜空には、満月が浮かんでいる。くっきりと浮かぶそれを、フヨウは歩みを止めることなく、ぼんやりと見ていた。吹く風に青いコートを靡かせ、ゆらりと揺れる衣に心を任せる。包み込むような穏やかな闇の中で、フヨウは微笑む。
「雷の国の件は、よくやってくれましたね」
フヨウは、振り返った。そこにいたのは、銀色の髪を靡かせる少女。強い光を持つ青い双眸は、フヨウの方へ向けられている。
「こんばんは。どうしたのかね、ランシア嬢」
フヨウは相手に戦意の無さそうなことに驚きかながらも、穏やかに笑う。
「ここは空の民の地ですよ。好き勝手やられるのはもう良いですが」
ランシアはふらりとフヨウに近づいて来た。溜息を吐きながら、近くの家の壁に凭れ掛かる。
「雷の国、空の国。漆黒の山脈をご覧にならなかったのですか」
鋭い青と、その言葉で、フヨウの中で、何かがぐらりと揺れた。漆黒の山脈は、黒の山脈と呼ばれる。大陸を分断し、遥かなる大地と、領主国を分ける境。
フヨウは少しの間黙っていた。しかし、口を開く。
「敢えて見ないようにしていたんだよ」
ランシアは、そうですか、と短く相槌を打った。そしてまた、暫しの間が空く。闇に包まれた世界に、ぽつりと言葉が流れ込むまでは。
「遥かなる大地の山を越えて、数人の男が空の国にやって来ました」
「光要塞からかな」
フヨウはすぐに尋ねた。尋ねたというよりも、確認、という方が正しい。ゆらゆらと揺れる言葉。フヨウの心は、酷く落ち着かなかった。
「いいえ、飛び越えてきたのです」
フヨウは唖然とした。飛び越える。フヨウの最悪の予想が的中した。しかし、纏わりつく何かに捕えられている暇は無かった。ランシアが突然動いたのだ。フヨウは、気がつき、身構えたが、ランシアの方が早かった。ランシアは、フヨウの手首を掴んだ。乱暴に自分の下に引き寄せ、淡い青色の光を、フヨウの顔に押し付ける。
「やはりそうでしたか」
ランシアの青に映っていたのは、深い青紫。フヨウは青い光を翳されるまでは、必死に抵抗したが、翳されてからは、抵抗することも無く、諦めたようにだらりと体の力を抜いていた。
「乱暴な振る舞いは感心しないよ」
フヨウは、ランシアに解放されてから、ゆらりと距離を取りつつ、瞳に映った草原色を確認した。
「青は魔力を象徴する色です」
フヨウはゆっくりと息を吐いた。それは、安心の息ではなく、安心させるための息だった。騒々しい首元に、ざわめく頭。フヨウは力を抜くように、壁に凭れ掛かった。
「本当は、あなたと私はよく似ているのかもしれません」
ランシアは静かに言った。
「出会った人々と選んだ道は、正反対だっただろうがね」
フヨウは、落ち着いてきた何かを宥めるように、息をゆっくり吐きながら、苦笑した。そして、何かを思い出したかのようにランシアに尋ねる。
「ところで、貴殿が来た理由は、ヒュー殿が関わっているのかな」
「よく分かりましたね。ヒューは、強い空の力を持っています。強い力を持っているだけでは問題ありません」
その言葉に、フヨウはピクリと反応した。薄らと浮かべた笑みの中で、再び何かが騒ぐ。それはすぐに収まったが、自覚を促すかのように、重い鎖がじゃらりと音を立てたようだった。限りなく澄んだ漆黒に、影が差す。
「私の力を祝福として与えた者の子孫です。ただ、守りたいと思うのです。ですから、今回は他の者とは関係ありません」
ランシアは目を細めて微笑んだ。
「エフィア様とスフィア様は、空の民とは直接的関係はありません。カナンは、空の民ですが、赤子の時に滅ぼされているので、彼女は空に拘りません。ですが、私は空に縛られている、空の想い続けています」
その笑顔は、幸せに溢れていた。辛くても幸せが多いだろう道を選んだ、一人の女性の笑顔。
古の時代に滅ぼされた空の民。その中で生き残った二人の少女は、対照的な道を歩んだ。ランシアとカナン。ランシアは人を選び、カナンは人々を選んだ。そして、ランシアは、目に見えないものを大切にする。それに傷つけられたこともあっただろう。それでも、彼女は少しの幸せをくれたその力と、人の結びつきを大切に思える。
それは、フヨウにできなかったことだった。フヨウは逃げることを選んだ。何かを守る、ではない。フヨウは、守られる立場であり、愛される立場であった。それは、ランシアのような、守る人間に囲まれていたからだろうか。
フヨウは浮かび上がる何かを押さえ込み、それを音無く吐き出すように、ゆっくりと息を吐いた。
「この空の国には、異なる思惑を持つ三つの強大な力があるということかね」
強い力を持ったヒューを狙う者、ランシア、そして、黒の山脈を飛び越えた者。それぞれが違った目的を持ってこの空の国に集まった。
「あなたを入れて、四つですよ」
「私の力は強大とは言えないよ」
巻き込まれていることは否定はしないけどね、とフヨウは心の中で付け足す。フヨウは無関係の人間ではない。むしろ、当事者に近い。
「そんなことはありません。あなたのその魔法の才能は、サクを凌ぐでしょう」
それについて、フヨウには否定する気は無かった。フヨウは再びゆっくりと息をを吐く。
「私は魔法を使わないよ」
フヨウは、ランシアの目を見ることなく続ける。
「私は魔法が滅びることを望んでいる。私が力を行使する理由は、そこにあるのだよ」
ランシアは溜を吐きつつ、苦笑した。
「あなた方が荒らし回ってくれたおかげで、雷の国は崩壊しましたよ」
「もう立て直してはいるのだろう」
フヨウはそう言ったが、ランシアはそれを鼻で笑った。
「エルフには、今回の件について、言及されましたし、セリ嬢がエルフを助けているらしく、支配が難しくなってきました。大幅な権利を認めたところです。建て直しどころの話ではありませんよ」
ランシアは開き直っていた。フヨウはくすりと笑う。
「結局、貴殿らは、サク殿を呼び戻すことによって、自分の首を絞めたわけだね」
そうですね、とランシアは微笑んだ。フヨウには、ランシア自身が初めから悟っていたかのように思えた。
高原の夜は、冷たくも穏やかだ。闇はいつになくゆらりと漂っている。そして、静かな夜に、星が流れ始めた。
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