The Night Monarch
Under the Rose
フヨウは昇る太陽を見た。太陽は嫌いではない。しかし、自分は太陽ではなく、夜だと言うことが分かっているだけだ。太陽が輝くところでは、夜は存在できない。
「サク殿、私は酷く疲れているのだよ。分かるかね」
ロゼの仕事を見に行こう、とサクがフヨウに言ったのだ。フヨウは、サクを諭すように言ったが、サクの笑顔は変わらない。心どころか、性格まで歪んできたのではないか、とフヨウは思った。
「別に、何ら体に異常は無いだろう」
そう尋ねてくるサクに、フヨウはついに溜息を吐いた。確信犯だ。向こうもこちらが気付くこと前提で言っているから、さらにたちが悪い。
「そういう問題ではないのだよ」
黙り込むのも悪い。フヨウは、一応律儀にそう答えたが、項垂れながらの言葉だった。言うまでも無いが、サクはそのようなことはどうでも良いようで、いつもの如く笑顔だった。雷の国の件を根に持っているのは間違いない。
「貴殿は良い気分だろう」
フヨウは、息を吐き出すようにして言った。ふらりと朝の涼しい風が流れる。
「間違っても悪い気分ではない。でも、まだ何かが引っ掛かっている」
サクは、僅かに口元を歪めた。フヨウは、再び溜息を吐く。サクの髪は、決して長くは無い。恨めしいほど、銀は涼しい風に流れている。
「引っ掛かったままで良いよ」
引っ掛かるのは正しい。サクは根本的なことが間違っている。魔界人としてのサクの先入観が、フヨウの秘密を守っている。そのまま引っ掛かってくれていれば良いのに、とフヨウは思っていた。しかし、フヨウは、ロゼが何かを言うとは思えなかったし、他の者たちが、進んで口を開こうとはしないと思っていた。
あとは、相手がサクではなければ、安心なのだが。
「訊いたところで言う気は無いだろう」
サクは、にやりと笑みを浮かべ、フヨウを見た。フヨウは天を仰ぐ。晴れ渡る空は、沈黙している。
「聞くだけなら聞くけどね」
フヨウがそう答えると、それならば言うよ、とサクは言った。
「あんたとハロン様とロゼ殿の間に、一体何があった」
フヨウはゆっくりと息を吐いた。
「何があったんだろうね。私にも分からないよ」
フヨウが家を出た理由は、抽象的だった。しかし、それは具体的何かが積み重なって起こる。フヨウは、その何かをはっきりと言うことはできない。
空は何も語らない。フヨウは弱弱しく微笑んだ。
ロゼよりも先に、クリスとジェイクが戻ってきた。フヨウとサクは、二人に朝食に行くように勧められたが、サクは、待っている、と言った。フヨウは、一人で食べに行く旨を伝えると、クリスがジェイクに一緒に行くように指示した。
フヨウは勿論遠慮した。しかし、クリスの目は、ジェイクを承諾しなかったら、サクに行かせる、と語っていた。フヨウはジェイクに礼を言い、付き合って貰うことになった。
ジェイクは歩きながら、フヨウに何か食べたいのかを尋ねた。フヨウは苦笑する。
「スープを飲めたら十分だ」
ジェイクは、そうか、とだけ言って、俺たちが食事をした店で良いか、と尋ねた。フヨウは頷く。
「フヨウ、俺、クリスからは何も言うなって言われてる」
小さな食堂の席についた時、ジェイクはそう切り出した。
フヨウの顔色を、一生懸命窺おうとしている様子に、フヨウは口元から笑みが零れそうになる。ジェイクに気を遣われるほどの自分が滑稽だったのだ。
「俺って鈍い。自分でも分かってる。そして、お前はな、今の俺でも分かるぐらい……」
「分かってるよ。私は今、自分のことで精一杯だ」
フヨウは途中まで黙って聞いていたが、ジェイクの言っていることを遮る。
フヨウはサクとクリスには気づかれているだろう、と思っていた。しかし、ジェイクにまで悟られていたことには驚いた。それだけ、自分は追い詰められていたのだろう、とフヨウは思い、苦笑を漏らす。
「お前は、俺たちに来て欲しくないだろう」
フヨウは暫しの間黙り込んだ。すると、いつの間にか、小さな食堂に着いていた。案内されるがままに座ってから、フヨウは漸く口を開いた。
「そうだね。できれば、来て欲しくない」
フヨウは穏やかな笑みを浮かべ、そう言った。ジェイクは、そうか、と短く答え、俯く。
フヨウは、三人と旅をすることを望んでいた。最初は半ば強引だったとしても、三人は魅力的な人間で、旅は楽しかった。四人で様々な国を回って、様々な人に会う。フヨウは三人が大好きだ。一緒にいたいと思える。
だからこそ、三人には見て欲しくなかったのだ。フヨウは、フヨウのままの姿だけを見て欲しかった。
「だが、ロゼ様とサク殿との三人は、辛い」
フヨウは僅かに声を小さくして、そう言った。すると、ジェイクは口元に笑みを浮かべた。
「お前の良いところは、素直なところだな」
フヨウは、サクと共にいることが嫌なわけではない。ただ、自分が精一杯の時、四六時中サクといるのは厳しい。
「何故、意地を張らなければいけないのかが、分からないからね」
フヨウは微笑んだ。ジェイクは、安心したかのように笑う。
フヨウが知って欲しくないのは、自分が弱っていることではないのだ。嫌われるのが恐ろしいわけでもない。ただ、明らかになるのが怖いのだ。
フヨウは運ばれてくるスープに口をつけた。赤い果実のスープだ。濃厚な味に水が飲みたいと思った時、身に纏う空色のコートが、ふと目に入った。
出発は昼過ぎになった。ロゼは相変わらずの笑顔で、悪いね、とフヨウに言った。フヨウにしてみれば、どうでも良いことだった。もし、連れ戻しに来たのがロゼではなかったら、フヨウは容赦なかっただろう。絶対に帰らない。しかし、ロゼだとそれが正反対になる。
フヨウは帰らないといけない。逃げることはできない。フヨウは、
ふらりと街外れに歩いていき、小さな小川の傍に座る。小川は淡い空色を映し出している。フヨウは草原色にかこまれていた。ふわりと空色のコートを広げて座り、流れ往く綺麗な小川を見る。
小川は、朝陽で煌々と輝いている。光は揺れる。しかし、規則的ではあった。それは、酷く無機質である繰り返しではなく、途絶えない落ち着きだった。
突然、輝き方が変わる。水がぐにゃりと変形し、そこから小さな人の姿が生み出される。青い髪に青い瞳、そして、白い肌の女性だ。
「シアリン嬢、どうしたのかね」
フヨウは、現れた小さな水の精霊、シアリンにそう尋ねた。シアリンの表情は暗く、フヨウはシアリンを安心させるように微笑んだ。しかし、シアリンは、酷く焦っているようだった。
「我が君、どうなさるおつもりですか」
か細い声に、フヨウはゆったりとした声で答える。煌く小川を、慈しむように見ながら、フヨウは微笑む。
「私は夜の君主でありたいと願っている」
そう言って、フヨウは天を仰ぐ。青空に、夜の香りは欠片もしない。そんな青空に昇っている太陽を見てから、フヨウはシアリンを見た。
「輝く者の傍に寄り添うことは、決して辛いことではないんだ。ただ、私は、一人に寄り添うよりも、多くの人と出会い、話をしたいと思う」
フヨウがそう言って微笑むと、シアリンも笑みを浮かべた。
「私も、それが一番良いことかと存じます」
そうか、とフヨウは言って微笑んだ。精霊の中でも、シアリンはフヨウを知っている。夜の君主ではなく、フヨウとして見ている。そんな人間が、フヨウは欲しかったのだ。
「サク殿は、何故だろうね。今までの誰とも違う。お互いを認め合うことは、一生掛かっても不可能だろうが、一緒にいて居心地は良いんだよ。サク殿は何と言うだろうね」
シアリンにそう尋ねると、シアリンはくすりと笑う。
「お言葉ですが、快い反応はなさらないかと存じます」
そうだね、とフヨウは笑う。
フヨウにとっては、サクとの出会いは大きかった。不思議な男だった。優しさを見せるのに、どこか冷めた目をしている青年。よく揺れ、とても敏感であるが、絶対に折れることの無い。そして、何より、サクは、フヨウに対する違和感を感じ、それが決して良いものではないと感じ取った。
フヨウは上に立つ者は苦手だ。しかし、サクには、上に立つ者の独特の何かが感じられない。
「御屋敷には、帰るのですか」
シアリンは、先ほどまでの笑みを消し、そう尋ねた。
「私には、帰らないという選択肢は用意されていないからね」
フヨウも普段のような穏やかな笑みを消し、それを苦笑いに変えた。
そんな時、フヨウは異様な空気を感じる。シアリンに、戻るように指示すると、シアリンは黙って頷き、消えた。フヨウは空色のコートを脱ぎ置き、剣を片手にその嫌な空気の発生源へ歩く。酷く肌寒かった。
小川を上流に遡ったところに、茂みがあった。深い緑色の茂みを、フヨウは訝しげに見た。そして、その茂みの前に、二本の剣を持って立つ。すると、かさりと何かが動いた。
「他にも来ているということかね」
茂みから飛び出してきたのは、様々な髪や目の色をした男たち。フヨウは収束する空気の中、そのまま剣だけで突っ込む。ただ闇雲に喉だけを狙う。飛び散る赤の狭間から見える空は、異様に青い。
数年前のフヨウだったら、確実に殺されていただろう。しかし、フヨウは、たとえ剣だけだったとしても、両親からの抜群の才能を受け継ぎ、それを磨いてきた。フヨウは、自分の感覚のままに、男たちを切りつける。
すぐに野原は静かになった。
「私だって戻りたくはないよ」
喋らぬ屍に、フヨウは微笑んだ。そして、脱ぎ捨てたコートの近くまで戻る。
マントを脱ぎ、脱ぎ捨てたコートを着る。コートに包まれた体は、すぐに暖かくなった。
澄み切った空色のコートと、赤黒いマント。フヨウはそれを見比べながら、苦笑いを浮かべた。赤い薔薇の花びらのような血が纏わり付いたマントを、小川の水につける。フヨウは広がる赤の中に手を入れ、ひらりひらりとマントを濯いだ。
空は青い。フヨウはゆっくりと息を吐く。大丈夫だ、とフヨウは自分に言い聞かせた。
そんな時、背後でふらりと影が動いた。フヨウは小川に映る影に、急いで剣を取り振り返る。全く気配は無かった。
「フヨウ、久しぶりだな。相変わらずで何よりだよ」
振り返った先にいたのは、ロゼそっくりの男だった。ロゼと同じく漆黒の棍を背負っている。しかし、口元の笑みは酷く歪んでいて、紫色の瞳も好戦的な色を孕んでいた。
フヨウは固まった。息が苦しい。激しい脈拍の所為か、首元がピクピクと揺れる。そんなフヨウを物ともせず、男はフヨウに近づき、手首を掴んだ。
「ハロン様、お止め下さい」
フヨウは、声を搾り出すように言った。男、ハロンは、そのことか、と言ったが、掴んだ手首は離さない。
「ロゼには言ってある。どうやら、友人を連れてくるようだな」
「どういうことですか」
フヨウは尋ねた。すぐ隣の濡れたマントに手が触る。ひんやりと冷たい。
「お前は、俺と一緒に来い。色々と話すべきことがあるだろう」
フヨウは反射的にククリに手をかけた。そして、ククリで、自分を掴むハロンの手首を斬ろうと動かした。しかし、それは叶わない。ハロンは素早くフヨウの手首を離し、身をかわした。
「ほう、牙を剥くか」
この俺に、とハロンは笑う。握られた棍は、日の光でギラリと輝く。フヨウは息を呑んだ。
ハロンが動き出した。フヨウはハロンの棍をレイピアで受ける。しかし、フヨウが流す間も無く、ハロンはフヨウのレイピアを流し、フヨウの背後に移動して、フヨウの首元に強く棍を叩きつけた。
激しい痛みの中、フヨウの意識は薄れていった。
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