The Night Monarch
Under the Rose


 フヨウが先に戻ったことを聞いた後、サクたちはロゼと昼食を摂っていた。ロゼは、フヨウの様子を聞きたがった。サクは、特に喋ることも無かったので、ゆっくりと食べ物を口にしながら、クリスの話を聞いていた。
「君たちからじゃなくて、フヨウから話し掛けたんだ。驚いたよ。フヨウは昔、大人しい子で、あまり喋らなかったからね」
 ロゼは目を丸くして言った。サクは一瞬だけ目を細めたが、ロゼは気付かなかったようだった。サクはずっと思っていたが、ロゼは、フヨウの兄とは思えないほど鈍い。セリも、敏感な方ではないが、ここまでは鈍くないだろう。
「今は、必要以上に色々喋るわよね」
 隣に座るクリスが同意を求める。
「余計な一言も多いし、僕たちの中では、一番お喋りな気がするよ」
 サクは、薄らと笑みを浮かべながら言った。
「見知らぬ人に声をかける回数も、突出しているよな」
 ジェイクの言葉に、フヨウしか声をかけないけどね、とサクは心の中で思ったが、勿論、口には出さなかった。
 そして、気まずい沈黙が流れる前に、クリスが話題を変える。
「ロゼ様は強いですよね」
 ロゼは穏やかに笑った。
「私よりもフヨウの方がもっと強いよ」
 その言葉に、サクは再び目を細める。当然のことながら、ロゼは気付いていない。
 ロゼとフヨウ。兄と妹だ。武術で、フヨウがロゼよりも強いことはありえない。フヨウは、確かに抜群の運動能力を持っているが、ロゼには敵わないはずだ。となると、フヨウがロゼよりも強かった理由は、一つに絞られる。
「フヨウはね、小さい頃から、誰よりも魔法が上手く扱えたから。でも、家を出る一年ぐらい前から使わなくなったんだ」
 フヨウは魔法を使えたのだ。それも、兄を遥かに凌ぐ力を持っていたのだろう。今までのロゼの話から、フヨウがロゼの前で遠慮していたのは確実だ。それでも、ロゼに勝てるのだ。
 サクの中で何かが繋がった。しかし、確信は無い。
「何故でしょうか」
 クリスが尋ねる。
「私も分からないよ。フヨウはあまり喋らないから」
 ロゼは、困ったように笑った。本当に知らないらしい。
「小さい頃のフヨウは、どんな子だったんですか」
 ジェイクも尋ねる。
「賢い子だったね。あと、大人しかったかな。あと、お母さんっ子だった。いつも一緒にいた」
 サクは、口元が僅かに緩むのを感じた。
「フヨウは、不器用だけど、良い子だから、仲良くしてあげてくれるかな」
 ロゼは微笑んだ。三人は、勿論、と頷く。
「ロゼ様は、フヨウのことが好きなんですね」
 クリスは微笑んだ。すると、ロゼはくすりと笑った。
「周囲には呆れられているんだけどね。同じぐらいの年の子が、フヨウしかいなかったから」
 サクは、確信した。自分は大きな間違いをしていたのだ。フヨウを取り巻く環境は、純粋で暖かかった。しかし、あまりにも不自然だったのだろう。


 目が覚めると、そこは、懐かしい天井だった。フヨウは、痛む体をゆっくりと起こし、すぐ隣に座る女を見た。体は軋むように痛かったが、フヨウはそれを見せないようにした。
「目が覚めたか」
 草原色の双眸、緋色の髪。しかし、口元には皺が目立ち、肩幅はフヨウよりも広い。そんな女性だ。女は、微笑んでない。しかし、無表情でもなかった。複雑な表情を浮かべた女を、フヨウは呼んだ。
「母上」
「フヨウ、私は母上と言われるような者ではないよ」
 フヨウの母、ユンリは微笑んだ。
「母さん、申し訳ございません」
 謝罪の理由は、先程の言葉ではない。フヨウは、自分とよく似た草原色を見ることなく、呟くように言った。
「私もハロン様を止められなかった。本当に、あんたには辛い思いばかりさせているね」
 ユンリは、フヨウに水を差し出した。かちゃりとお盆が音を立てる。
「母さんの苦労を思えば」
 フヨウは少し水を飲んでから、ユンリに戻した。ユンリは、もう良いの、と尋ねる。フヨウが黙って頷くと、ユンリはゆっくりと息を吐いた。
「あんたは、まだまだ子どもだからね」
 私と比べてはいけないよ、とユンリは言う。そして、微笑む笑顔によって、皺が深くなる。フヨウは、それを見た。苦労をしているのだろう。ユンリは、昔と全く変わらない。
 そんなことをフヨウが考えていると、フヨウの顔色を窺っていたユンリが、比較的明るい笑顔を浮かべて言う。
「友人が出来たらしいね」
 もう、ロゼも帰っているのだろうか。フヨウは、一瞬目を細めたが、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。笑顔を作っているわけではない。隣に置かれていた空色のコートが、丁度目に入ったのだ。
「素晴らしい仲間です」
 フヨウは言い切った。
 フヨウは、友人とは言わなかった。友人、とは違うだろう、とフヨウは思っていた。旅の仲間だ。お互いに僅かに遠慮をしながら、心地良い雰囲気を作り出す。お互いを知っているわけではないし、価値観も全く違う。ただ、共に旅をするだけだが、それでも、フヨウにとっては大切な存在であることには変わりは無い。
「少し前に着いたらしいから、挨拶に行って来る。あんたは、もう少し休みなさい。あなたが寝静まるまで、見ていてあげるから」
 フヨウは頷いた。もう、三人は来ているのだ。そう思うと、気分は僅かに明るくなった。外の世界にいる時は、仲間の訪問を歓迎しようとは思わなかった。しかし、あの三人の存在は、フヨウが生き生きとしていた自分を捨てないで、耐えるのを助けるだろう。
 フヨウは再び毛布に潜った。意識が遠くなっていくのには、然程時間は掛からなかった。


 ユンリは、フヨウが寝静まるまでずっと隣に座っていた。
「あなたが牙を向けるほど、あなたに奪われたくないものができた」
 ユンリは微笑む。
 フヨウは穏やかだ。争いごとを嫌う。そして、誰よりも、礼儀正しく、従順だ。だから、ユンリは、ハロンから、フヨウに刃を向けられた、という事実を知らされた時も、信じられなかった。ありえない、と思ったのだ。
 しかし、娘は変わっていた。一族の中で、友人のような存在の者など人にもいなかったのに関わらず、外の世界で友人を作るほどまでになっていた。
 フヨウは何かを守りたかったに違いない。それは、ロゼでもハロンでもない。与えられた「守るべきもの」ではない。
「フヨウ、それが他人でなければいけないことは無いよ」
 他人を守ることだけを教えられていた娘が、守ろうとしたもの。それが、彼女自身であることを、ユンリは願った。フヨウは、望まれた自分ではなく、望む自分を見つけたのだろうか。
 ユンリは、安心しきっているとは言い難い顔で眠る娘の額に、優しく手を乗せた。


 小さな子どもが二人、廊下を駆け抜けている。一人は黒い髪の青紫の瞳をした少年。もう一人は、緋色の髪に草原色の瞳をした少女。少女は控えめに、元気よく走る少年の後について走っていた。
 二人ではしゃいでいるわけではない。しかし、明るい笑顔を浮かべた少年は、少女に色々と喋りかけていた。少女は微笑み、それを黙って聞いている。そんな光景を見ている大人たちの口元は、緩んでいる。平和で暖かな光景だ。
 そんな時、廊下の向こうからゆっくりと歩いてくる男を、少年が見つけた。少年は目を輝かせ、男の前まで勢い良く走っていく。少女も、少し遅れてはいるが、しっかりとついていく。男はやってきた二人を見て、どうしたんだ、と微笑んだ。
「フヨウがすごいんです。もうイーリスの魔法を使えるようになったんですよ」
 少年は少女を男の前に引き出すようにして、嬉々とした様子でそう語った。少年と手を繋いで、男の前に立つ少女は、僅かに目を伏せる。
「兄上の教え方がお上手で……」
 幼い少女にしては低めだが、か細い声で少女は言った。男は目を細めて、口元を緩める。
「ロゼ、お前はすごい。人に教えることは、簡単なことじゃないんだよ。フヨウ、お前もまだ小さいのに、魔法が本当に上手く使えるね」
 男はそう言って、色の違う二つの頭を撫ぜる。無邪気に笑う少年と、遠慮気味に微笑む少女。
「ありがとうございます、ハロン様」
 二人の声が、綺麗に重なった。


 フヨウはゆっくりと息を吐いた。脈拍はかなり速い。汗もかいている。
「匂いの所為かな」
 家特有の匂いは、古い思い出を引っ張り出させたのだろう。何の変哲も無い思い出だ。しかし、フヨウは息苦しかった。
 フヨウは起き上がり、扉を見た。扉には魔法が掛かっており、外からも中からも開かないようになっているらしい。自分を守るために、ユンリが掛けたのだろう、とフヨウは思った。
「もう一度寝たら、こんなものでは済まされないだろうに」
 どうしてくれるのですか、母さん、とフヨウは心の中で呟いた。体は疲れている。このままこの部屋にいれば寝てしまう。
 穏やかな光の中で、フヨウが再び眠りに落ちてしまうまで、そう長くはかからなかった。


 ロゼは龍になって、三人を乗せて飛び立ったのは、数時間前。青紫の鱗を持つ美しい龍だった。龍は速い。領主国と遥かなる大地を分割する、巨大な黒の山脈を越え、草原の真ん中に佇む、一階建ての大きな屋敷に三人は着いた。
 ロゼが、龍族長に会わせてくれるらしい。三人は、ロゼに案内されて、屋敷の中へ入っていった。
 屋敷の中の人々は、ロゼの客人であるサクたちに、丁寧に挨拶をした。ロゼを含め、皆、挨拶をされれば、挨拶を返した。
 案内をされた部屋は、質素ながら大きかった。そこには、一人の男が座っていた。ロゼにそっくりの顔立ちだ。まるで、ロゼに年を取らせたかのような男である。
 纏う空気は、強者のものであり、人の上に君臨する者のものだった。しかし、青紫の目は、決して人間味の無い目ではなく、温かさがあった。
「私が龍族長、ハロンだ。龍族の代表として、君たちを歓迎しよう。どうか、ゆっくりしていってくれ」
 フヨウたちが座ると、その男、ハロンは穏やかに笑った。
「すみません、一つお尋ねしたいことがあります」
 サクは、しっかりとした声で言った。するとも、ハロンは、私に答えられることならば、と言った。
「フヨウはどこにいるのですか」
 そう尋ねると、ハロンは困ったように笑った。
「私も分からない」
 サクは、丁寧に礼を言った。サクは満足していた。サクの知りたかったことは聞き出せたからである。


 フヨウが見当たらない。この屋敷のどこかにいるはずなんだけどね、とロゼは困ったように笑った。サクも、フヨウがこの屋敷から抜け出したとは思えなかった。屋敷の門の前には、門番が立っていた。流石に、フヨウも、門番に気付かれずに屋敷を出ることは不可能だろう。
 様々な人に、ロゼはフヨウに着いて尋ねている。皆一様に、知らない、と言う。サクは、三人からふらりと離れた。
 早足で、来た道を戻る。そして、サクは長の部屋の隣の部屋の前で立ち止まった。扉に手を当てる。違う、とサクは思った。
 長の部屋を通り過ぎ、もう一つの部屋の扉に手を当てる。辛うじてしか分からないような、微かな魔力が残っている。しかし、掛けられているのは強い魔法だ。サクは、ぐにゃりと口元を歪めた。考えていた通りである。
 幻魔法だ。そのまま普通に開ければ、何の変哲も無い部屋に入ることができるだろう。しかし、それでは本当に入りたい部屋には入れない。
 サクは周囲を見渡した。誰もいない。サクは、大きく息を吸い、扉に当てた手に、精神を集中させた。
 魔法を壊さないように入るのは、難しい。しかし、サクの考えが正しければ、フヨウは命を狙われている。壊して入るのは危険だ。この魔法を掛けた人物に気付かれるのも、避けたいことである。
 糸のようなものを掴む感覚がした。サクはそのまま一気に扉を開け、中へ入り、すぐに閉める。何とか魔法を壊さずに、入れたようだった。
「やはりね」
 部屋は決して広くは無かったが、狭くも無かった。部屋にある低いベッドに寝かされていたのは、紛れも無く、フヨウ本人だ。
 顔色はよくない。青白い顔で、寝汗もかいている。サクは、薄らと笑みを浮かべ、近くにあった椅子に座った。

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