The Night Monarch
Cool Fire


 アイテールは、火の国でフヨウたちを下ろした。首都、魔法の町を有する火の国は、魔界の中でも最も広い国である。それだけに、気候も様々だ。フヨウたちが下ろされたのは、泉や噴水の多い小さな町だった。
 泉の町と呼ばれるこの小さな町で、フヨウたちは暫く過ごすことになった。サクの傷も完全に回復していない。観光に療養を兼ねての滞在である。
 フヨウは、大抵起きるのが一番遅いのだが、降り立った次の朝は、誰よりも早かった。フヨウは、隣のベッドで眠っているクリスを残し、ふらりと部屋から出た。
 開いた扉から舞い込んで来たのは、新鮮な空気だった。冷たくも温かくも無いし、匂いも無い。ただ、それはとても心地の良い物だった。フヨウは静かに扉を閉め、その足で宿から抜け出す。
 宿の扉を開けると、清々しい陽光が照っていた。真昼の太陽とは違う優しさのある様子に、フヨウは口元を緩める。そして、人だけがいない通りを、フヨウは歩いていった。
 暫く歩くと、小さな小川に辿り着いた。公園のようになっている草地に、涼しげな音を立てて水が流れている。水面は煌々と光っており、フヨウはそれを見ながら、朝露でしっとりと濡れた柔らかい草の上に腰を下ろした。
「初めまして、夜の君主」
 突然、女性にしては低い声が響いた。それは、友好的とは言い難い、ぶっきらぼうな響きを持っていた。しかし、気品のある声でもあった。
 フヨウは、斜め下に向けていた顔を、ゆっくりと上げた。すると、先ほどまで、誰もいなかったはずの小川の対岸に、一人の少女がいた。フヨウよりも背は低いが、顔立ちは美しく、妙に大人びていた。そして、何よりも目を引くのは、高く束ねた、鮮やかな紅色の長い髪だ。無表情の少女は、黒の衣を纏い、真っ直ぐと立っていた。
 フヨウにとっては、見知らぬ美しい少女だ。しかし、フヨウは、少女が誰なのかを知っていた。
「姫、こちらこそ、初めまして」
 闇を統べる姫君、と彼女は呼ばれている。
 フヨウは立ち上がり、少女に恭しく頭を下げた。そして、全く表情を変えない少女に続ける。
「貴殿の御援助に感謝している」
 心からの言葉だった。アイテールの助けは大きかった。フヨウは、丁寧に礼を述べ、何も言おうとしない少女の顔を見た。
「ところで、サクとは何かあったのかね」
 顔色を窺うようにして、フヨウは尋ねた。顔色一つ変えない少女は、ただ怜悧さと並々ならない品を窺わせるような雰囲気だけを出している。
 しかし、口元は動いた。
「簡単に言うと、縛られることになった」
「サクが、かね」
 フヨウは間髪入れずに尋ねた。すると、少女は、違う、と短く言った。
「私が縛られることになった。人を殺せば自分が滅ぶ呪い」
 少女はゆっくりと息を吐いた。同時に、少女の首に、鮮やかな青の模様が浮かび上がる。その揺らめく青も、端麗な模様も、美しかったが、少女とは正反対の美しさだった。
 少女の美しさを、殺伐な世界で、己を強く貫き、真っ直ぐと歩いてきた証とすると、その青の模様は、洗練させた美しい世界から零れ落ち、楽園を見上げて悲しむ一滴の雫のようであった。
 実際にそうなのだろう、とフヨウは思った。
「貴殿ならば、サク殿程度の呪いは、難なく解くことができるだろう」
 そこまで言って、フヨウは自分の過ちに気付く。重要なことを取り逃していた。
 サクは、ただのサクではない。サク・セイハイである。そして、四界は、自分の支配の及ばぬ、妖界城、つまり妖界王家の者に、並々ならぬ思いがある。
「四界の呪いだ。媒介者であるセイハイがいる限り、解かれることは無い。それに、別に、呪いが嫌なわけではない。四つも世界があるのに関わらず、私に喧嘩を売って生きている者は、この世に一人しかいなかった。あの男だけが特別っているのが気に入らない」
 少女の顔に、影が入った。ただ、その影は、少女を儚く見せるようなものではなく、その強い黒の眼光と、闇を思わせる雰囲気を、際立たせるようなものだった。
 フヨウは少し考えた。慎重に喋らなければいけないということを、先ほど思い知ったばかりだ。しかし、考えても、それに該当する者は一人しか思い浮かばない。フヨウは、口を開いた。
「妖界王のことかね」
 少女は頷いた。そして、用意してきたかのように、喋り出す。
「サクは、少なからず私に影響を及ぼした。恩がある」
 フヨウは、黙って頷いた。
 サクは、強い個性があるわけではない。しかし、フヨウもサクに影響された。サク・セイハイという人間は、フヨウやアンのように、夜闇を纏い、愛された者に、影響を及ぼしやすいのだろう、とフヨウは思った。
「頼み事がある」
 少女は、相変わらずの様子で言った。
「貴殿の頼みならば、喜んで、精一杯やらせて頂く所存だ」
 フヨウは胸に手を当て、頭を下げる。
「この泉の町には、鏡の泉という泉がある」
 少女は町の方に目を向けた。小さな泉が無数にあり、多くの小川が流れる町。
「その泉は、過去を映す鏡になっている。そこまで、サクを誘導して欲しい」
 過去を映す鏡。フヨウは、僅かに目を細めた。
「誘導するだけで良いのかね」
 フヨウがそう尋ねると、少女はあっさりと言った。
「良い。でも、その鏡の泉は、自力で見つけて」
 フヨウは、微笑みながら、後で精霊に聞こう、と思った。シアリンならば、知っているだろう。そう思ったのだ。
「あと、精霊や人に頼ったところで、見つけられないから。ただ歩き回りなさい」
 フヨウは、呆然と少女を見た。そして、ゆっくりと尋ねる。
「貴殿は、私の心を読んでいるのかね」
「あなたが分かりやすい」
 少女は即答した。フヨウは、それを見て、ある人物を思い出す。その人物は、柔らかな微笑を湛えながら、その揺れる青の瞳に、勝ち誇ったかのような光を持つ。
「誰に似ているかと思えば……貴殿とサクはよく似ている」
「アズサにも言われた」
 少女はさらりと言った。
「それならば、間違いは無いだろう」
 フヨウは何度も頷く。
「貴殿らは、固執しないのに関わらず、真面目過ぎるのだよ」
 人に興味が無いのに関わらず、関わった人の心を気にしてしまう。サクも少女も、人の気持ちに敏感で、否応無しに気付いたことに、真面目に対応するのだ。
「それに、素でそのようなことを言っているだろう。それを自覚し、利用してみたまえ。サクになってしまう」
 フヨウは、くつくつと笑う。  少女は、薄らと笑みを浮かべた。上品に、しかし不敵な雰囲気を無くさずに、口元が僅かに歪む。
「それは、困った」
 少女はくすりと笑った。


 フヨウは朝食の席で、早速話した。
「私の両親は、昔、領主国を旅していたことがあったのだよ。その時に、鏡の泉伝説というものを聞いたことがあるらしい。それが、確か火の国の泉の町にあったような気がしてね」
 こういう時は、決まって、どうでも良い人があっさりと話を信じてしまい、最も騙し通さなければならない人が、疑いの目を向ける。この場合もそうだった。
 コーヒーカップ片手に微笑むサクは、一体何を企んでいる、と言いたいげな目である。
「どんものかは定かではないのだが、なかなか楽しそうだろう」
「楽しそうだね」
 棒読みといっても過言ではないような声で、サクは言った。別に、態々言わなくて良い上、演技が得意なのに関わらず、棒読みで言うのだ。
 こういうところで性格の悪さが出るのだな、とフヨウは思った。
 しかし、ジェイクは勿論のこと、浮かれている所為だろうか、クリスさえもがサクの心に気付いていないようだった。サクがあまりやる気で無いとか、具合が良くないとか言うことは、頭の中に無いらしい。
 その後、全員が食べ終わり、店を出た時には、クリスとジェイクは、その足で探そう、と思っているのか、元気良く、道に飛び出した。
「水が美味しかったね」
 クリスは、明るい笑顔を浮かべる。
「泉から汲んでいるのだろう」
 フヨウはクリスに微笑みながら、サクの方を見た。サクは、気に入る気に入らない以前に、顔色が悪い。
「大丈夫かね」
 何となく、サクの隣に移動し、小さくそう尋ねると、サクは、口元に笑みを浮かべた。
「もし、倒れたら責任とってね」
「私が、かね」
 フヨウは、すぐにそう聞き返した。すると、サクは、更に笑みを深める。
「あんた以外に誰がとる」
 それぐらい言えれば大丈夫か、とフヨウは思い、後ろを気にしながらも、クリスの隣に移動した。しかし、フヨウは甘かった。それは、暫く歩いた頃だった。
 水飛沫と共に、鉄の臭いが周囲に充満する。フヨウは、すぐに振り返った。
「サク、あんた大丈夫なの」
 クリスは顔色を真っ青にしている。ジェイクは呆然と突っ立っていた。視線の先には、真っ赤な泉の前で、口から血を流して蹲るサクがいた。
 具合が相当悪かったのに関わらず、無理をしていたらしい。体の内部まで、治癒魔法が完全に届いていなかったのだろう。そうだとしたら、ずっと痛んでいたはずである。
「サク、無理したんだな」
 サクは、未だに咽ながら、水面に紅を吐き出していた。フヨウは、その顔を覗き込むが、サクは真っ赤な水面を見ていた。青い目を、これ以上なく見開き、瞬きもせずに見ている。
「アン」
 サクは、フヨウの方を一瞥もしなかった。ただ、紅く染まる水面を見ていた。鮮やかな青は、激しく波打つ水面を映している。紡がれた言葉は、消え入りそうだったが、体から溢れ、零れ落ちたような響きを持っていた。
 そして、そのままサクは泉に落ちた。
 フヨウは後を追おうと、マントを体に巻きつける。浅かった泉は、いつの間にか深くなっている。サクの血の深みである。
「フヨウ、あなたは魔法使えないのに……」
 クリスが、本気なの、と尋ねる。
「私は水の中でも呼吸ができる」
 クリスもジェイクも、それ程驚かなかった。フヨウは龍だ。全く関係無いことだが、二人はそれで納得したらしい。
 水の魔法が使える二人は、魔法で何とかするつもりでいるようで、準備をしていた。フヨウは、二人が魔法を完成させたのを見届けてから、泉に足をつける。そして、ひんやりとした泉に、落ちるようにして入っていった。
 泉の中の世界は、青く広かった。紅いのは表面だけらしい。静かで音の無い空間で、フヨウは二人が降りてくるのを確認した。サクは見当たらない。しかし、何もない泉の中では、すぐに見つかるだろう。
「アンって誰か分かってるの」
 クリスは、フヨウにそう尋ねた。フヨウとサクが、お互いのことを誰よりも知っていることを踏まえての質問である。
 フヨウは穏やかに笑った。脳裏に浮かぶのは、紅い長い髪を持つ、美しい少女だ。
「妖界第二王女、王位継承権第一位、四界で最も、強く、美しく、高貴でいらっしゃる姫君、アン姫だ」
 二人は、それで分かったらしい。クリスは、深刻さを感じていないらしく、何を考えているのかにやにやと笑い、何故、というような顔をするジェイクと対照的だった。
 しかし、やってくれたな、とフヨウは思った。探しまわることに意義があったのだ。体調の優れないサクが、泉に血を吐くだろうことを見越して、少女はそう言ったのだ。少女がフヨウに与えた情報は間違っていない。
 しかし、とフヨウは呆れたような笑みを浮かべる。
 サクを何とかしてやろう、という気持ちはある。しかし、手段を選ばなかったということを示すようなやり方に、フヨウは、流石妖界の姫だ、と思った。

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