The Night Monarch
Cool Fire
透き通った鮮やかな青の空間は、サクがいるからこそ青いようだった。透明なのに関わらず、僅かに波のある水の中で、フヨウは二人に説明をする。
「強い魔法使いの血には、強い魔力が含まれる。この美しい水にも、強い魔力が含まれる。両者が反応し合えば、過去を見せることも可能だ」
クリスが不審そうな表情を浮かべたのを、フヨウは見逃さなかった。
「しかし、よく考えてみると、趣味の悪い水だ」
フヨウはぼやく。
過去、と一口に言っても、おそらく、この水が見せるのは、未だに精神を蝕む毒のような過去だろう。
光が歪み始めた。水が歪んでいるのだ。青と光が入り乱れるのを見て、フヨウはゆっくりと息を吐いた。
「サク殿を見つける前に、始まってしまうようだね」
緋色の髪を揺らし、フヨウはふわりと柔らかい水底に足をつける。
「これでお相子だよ」
勝手に夢を盗み見てくれた仲間に向かって、フヨウは微笑んだ。
現れたのは、漆黒の石版だった。艶やかに光る金色で、文字が書いてある。フヨウは文字が読めないため、助けを求めるように、クリスを見た。
「The Magical School for Wizards」
クリスはそう読み上げた。しかし、読み上げた本人は意味がわかっていない様子だった。何よ、とでも言うように、首を傾げる。
しかし、音になればフヨウは、分かる。古代語である。
「古代語で、魔法使いのための魔法学校という意味だ」
フヨウはにやりと笑った。そういうことか、と思ったのだ。
しかし、二人は知らないらしい。フヨウの表情を見て、何なの、と尋ねる。
「四界が一つだったということを知っているかね」
フヨウは朗々と歌い上げるように言った。太古の話なのだ。ランシアやエフィア、スフィアやカナンが生きていた時代。未だに語り継がれる物語の中の話だ。
「世界から、三つの世界が生まれた時、同時に魔法が生まれた」
魔法。フヨウにとっては、忌むべきものだ。しかし、今は関係ない。フヨウの女性にしては低い声で、石版が揺ら揺らと揺れる。
「魔界、天界、妖界。ほとんどの者が、魔法を使えるようになった。しかし、世界だけは違った。一部の者は使えたが、多くの者は使えなかった」
フヨウは幻の石版に近づいた。
「世界にある魔法学校。それは、魔法の使い方から、魔法の歴史まで、様々なことを教えるために、作られた。魔法が使えるごく一部の者が、世界で暮らしていけるように、と創設者は考えたのだろう。そう聞いている」
そこまでフヨウが言った後、静かになった石版の前で、クリスが尋ねる。
「サクは、ここに来たことがあるってことかしら」
フヨウはにやりと笑う。魔界人と妖界人の姫の出会いの場所としては、素晴らしい。そう思ったのだ。
魔法学校は、ランシアに縁のある者が建てた。そこに、四界がも何かと厄介なサクを入れたとしても不思議ではない。
「おそらく、ここで姫と会ったのだろう」
再び歪み始めた世界の中で、フヨウの声は異様に響いて聞こえた。
食堂だろう。学生のような者たちが、食事をとっている。周囲を見渡していたフヨウは、隅の方のテーブルで、その目を止めた。そこには、三人の学生が座ってた。
銀髪に鮮やかな青の瞳をを持つ少年は、おそらくサクだろう。まだ、幼さの残る顔立ちで、今のサクのように、落ち着きのあるようには思えない。皿の上のくすんだ色のマメが、なかなかフォークで突き刺せないらしく、むきになって、我武者羅にフォークを使っていた。フヨウは、思わず笑ってしまう。
「最近、豆と魚しか食べてない気がする」
銀髪の少年、サクは、そう言ってフォークで豆を突き刺した。しかし、突き刺したと彼が確信しただろう瞬間、豆は、銀の先端から逃げるようにして滑る。サクは舌打ちした。
「おそらく気のせいではない」
そう言うのは、サクの隣でコーヒーを飲んでいる少女、アンである。朝会った時と、ほとんど姿は変わっていない。しかし、サクの姿を見て、面白いのか目を細めていた。
「食えるだけ良いだろう」
そう言ったのは、フヨウの見知らぬ少女だ。髪は茶色で、短く切られており、三人の中では、最も体が大きい。
茶髪の少女の前には、山盛りの豆のサラダと、二尾の魚が置かれていた。同じテーブルに並ぶのが、豆の炒め物が少ししか乗っていない皿と、汚れ一つない皿なのだから、その様子は甚だしい。
「その前にお前ら……農業ってのはな、唯でさえ汗を流して……」
腕を組み、目を瞑って一人頷きながら、少女は語り始めた。
「アン、今日の世界史は何するの?」
サクは、少女を無視して、相変わらずコーヒーしか飲んでいないアンに尋ねる。口元が歪んでいるところから、故意的であるのが分かる。
「本当に苦労をしないといけないんだ……」
「魔法原理学の本の要約書を書くつもり」
アンは冷たい灰色の瞳でサクを一瞥すると、そう答えた。彼女も薄ら笑いを浮かべながら、少女を無視していた。
「農業を生真面目に……聞いてるのか、お前ら」
勢い良く少女が立ち上がる。
「聞いてはいた」
アンとサクは、さらりと答える。そして、むきになって怒る少女を、面白そうに笑う。アンの楽しそうな雰囲気、サクの年相応の笑顔に、フヨウは口元を緩める。
在り来たりの交友関係だったとしても、それが三人にとっては大きなものだったのだろう。フヨウは揺らめく水面を仰いだ。
再び水が歪み始めた。影が深まっていく。しかし、そのうち、はっきりと周囲が見えてきた。
その光景は、血を見慣れたフヨウでも目を逸らしたくなるような、凄惨な光景だった。クリスとジェイクは悲鳴さえも上がらないらしい。二人共、目を逸らしている。
薄暗い部屋に、血塗れの若者たちが、累々と横たわっていた。そこに立っているのは、二人だけだ。アンとサク。
サクの視線は、アンの足元にあった。そこには、見るも無残な姿の茶髪の少女が倒れていた。サクとアンと一緒にいた少女だ。その変わり果てた姿に、フヨウは目を細めた。
「クリス、ジェイク、水から上がりたまえ」
呆然としている二人に、フヨウははっきりと言った。すると、クリスは我に返ったのか、空色の瞳をフヨウに向けた。しかし、それは、フヨウの想像していた表情とかけ離れていた。
「お断りよ。これをサクが見たんでしょ。私も見るわよ」
クリスの澄んだ声が薄暗い世界に響いた。透き通った強い空色を見て、フヨウは呆れたように笑った。自らサクの個人的領域に踏み入らないとしても、彼女もサクの旅の仲間なのだ。
ゆらりと水が揺れた。
「私は、最初からこの気でいた」
アンが口を開いた。サクは、ゆっくりと顔を上げ、アンを見た。
「生徒を皆殺しにして、妖界の脅威となっていた魔法学校を壊さなければいけなかった」
ひんやりとした声だった。鋭いわけではなかった。しかし、凛としていた。
アンはアンで、妖界から派遣されていたのだろう。それが、サクと偶然出くわしてしまった。否、偶然、サクと出会ったのだ。
「あなたは、何をしたかったの」
その言葉に、フヨウは目を細めた。サクが雷の国に戻る直前、フヨウは同じようなことをサクに尋ねた。サクは、この時のアンを思い出していたのだ。フヨウは、苦虫を噛み潰したような気持ちになった。
「いつだってそう。あなたは、絶対に自分の本心を言わない。誰かを信用する勇気がなかったんでしょ」
アンの言葉は、的を射ていた。サクは、誰かと寝食をともにすることができるし、酷く寡黙であるわけではない。しかし、滅多に自分の気持ちを言わない。それが、サクの人間不信なのだ。
サクは、魂が抜けているような表情から、元の表情に戻った。
「信用していたさ」
サクが、重い口を開いた。
「姫様、悪かったね。僕は、あんたとエレンとの生活を、ただ楽しんでいただけだった」
アンが目を見開いた。サクの背後に聳える強大な古代魔法は、サクのものではない。セイハイは、四界の魔力を流用することもできるし、四界から力を借りて魔法を使うこともできる。
サクの消えそうな笑顔を残して、アンは消えた。その血塗れの部屋には、銀色の髪の少年だけが残されていた。
それから、サクはすんなりと見つかった。澄んだ水の中に、沈んでいたのだ。魔法が掛かっていて、呼吸もできていたため、命には別状はなさそうだった。しかし、意識はなかった。
クリスとジェイクは何も言わなかった。宿に戻ってから、クリスは黙々とサクに医療魔法を施し、ジェイクを引っ張って、すぐに自室に入ってしまった。
部屋には、サクとフヨウだけが残っていた。否、二人に席を空けてもらった、と言う方が正しいだろう。責任重大な役に当たってしまったな、とフヨウは思いながら、サクの意識が戻るのを待っていた。
サクはなかなか目を覚まさなかった。死んだかのように横たわっているサクを見て、そういえば眠っている姿をまともに見たことがなかったな、と思い、フヨウは口元を緩める。サクも眠るんだ、などと思って、心の中で笑っているフヨウの頭の中には、自分を化け物だと思っていただろう、とサクに指摘をしたなどという記憶はない。
そして、日が暮れた頃、漸くサクは目を覚ました。
「魔法学校の一件、見てしまったよ」
「伝説の泉の所為だね」
サクは、貼り付けたような笑みを浮かべた。怒っているのだ。
しかしも、過去を思い出したからだろう。顔色だけではなく、表情にも影があった。鮮やかな青には、薄暗い影が入っていたし、いつもよりも更に細かった。
「君は、元々光を憎むだけだったんだね」
フヨウは、ゆったりとした声で言った。
サクは、光魔法を使わない、それは、セイハイという民族への、少年なりの些細な反抗だった。
「だが、闇を遠ざけるようになった。全てが見えなくなるが故、見えないものが見えてくる。夜において、人は冷静になり、後悔をし、苦しむ。だが、君はその程度のことは、耐えられた」
サクは、フヨウの方を見ようとはしなかった。フヨウも、敢えてサクの顔を覗き込むようなことはしなかった。
青年はいつだって揺れていた。しかし、取り乱すようなことは、ほとんどなかった。
夜は見えないものが見えてくる。後悔、昼間見た人々の表情、自分や人の言動。全てが、昼間以上に見えるが故に、現実的になって、襲いかかってくるような感覚がするのだ。
それが、サクがフヨウを嫌う、何よりもの理由だったのだ。闇や夜を遠ざけ、自分を苦しめる物から上手く回避をしていたのだ。
「あのようなことを言って、悪かったね」
それだけで、サクは何かが分かったようだった。
「私は、君が正しかったと思うよ」
サクのゆっくりと息を吐いた音がした。
あの血塗れの世界に、一人残された少年は、立派な答えを出した。本人は、答えた気はないのだろう。しかし、それは、妖界の姫を変えたのだ。
「目的があることだけが、良いことだとは思わない。むしろ、目的の無い行動によって生まれた感情こそが、愛すべきものではないか、と私は思ったよ。君を見てね」
サクの腕が、ぐったりと沈められた。纏う空気も変わった。
ただ、少年は、二人の少女と笑い会っていることを楽しんでいた。共に生活をすることを楽しんでいた。それが、下らないことであるはずがない、とフヨウは思った。
サクは、目的のために生きているわけではない。それは、素晴らしいことなのだ。フヨウも、当時のアンも気付かなかった。サクも気付いていなかっただろう。しかし、それは、善き生き方の中の一つだ。
フヨウが、クリスやジェイク、サクと共に、ボードゲームをしたり、食事をしたりしながら、旅をすること。目的はない。ただ、それは目的のある行為よりも、価値があったかもしれない。フヨウはそう思うのだ。
「私は、どうしても人が信用できないのならば、信用しなくても良いと思っている。相手も信用してくれなくては嫌だ、というような人と、深く関わらなければ良い話だ。因みに、私は相手が自分をどう思っていようと、構わない」
「知ってる」
サクが笑った。フヨウも穏やかに笑う。
「血を吐いたんだ。今晩はゆっくりと休みたまえ」
フヨウは、それだけ言って、水と夕飯を取りに、下に降りようとする。
「言われなくとも」
風のような声に、口元を緩めながら、フヨウは扉を静かに閉めた。
宿の屋根の上に二人の少女がいた。澄み渡る夜空に、色の異なる赤の髪が揺れている。
「姫、上から、サクの記憶を操っていただろう」
困った人だね、とでも言うように、フヨウはそう言ったのだが、少女、アンは全く罪悪感がないようだった。
「雷の国のことは見なくて良かったでしょ」
感謝してよ、とでも言うように、アンは笑う。
よく笑うな、と思いながら、フヨウは、縛られていた、という意味を悟った。アンも縛られていたのだ。
「サクではなく、私に見せるために、貴殿は過去を見せた」
今回、一番働いたのはフヨウだ。結局、事後、サクと話すことで、サクが動いたのだ。導くだけ、というのはある意味嘘だったのだ。
「サクには悪いことをしたと思っている」
「棒読みで言われても、説得力の欠片もないのだが」
フヨウは、自分には悪いことをしていないのか、と思ったが、その言葉を飲み込んだ。それ以前に、指摘すべき点があったのだ。
意外とお茶目なお姫様は、くすくすと笑う。そして、そのままの柔らかい表情で言った。
「サクを宜しく」
暗い灰色の瞳が細められている。フヨウは、穏やかに笑った。
「言われなくとも」
お互い、ここまで個人的領域に入ったのだ。今さら、後戻りはできない。
「あと、名前で呼んで。呼び捨てで構わない」
「アン、またお会いしたい」
フヨウはにやりと笑った。
「近いうちに会いに行く。楽しみにしておいて、フヨウ」
不敵な色の入った品のある笑みが、闇に飲まれるようにして消えた。
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