The Night Monarch
Unnatural Worlds
フヨウたちは、火の国を歩き続け、魔界の首都、魔法の町にやってきていた。活気溢れる巨大な町を訪れたのは、フヨウも初めてだった。
フヨウは、食事を済ませ、四人で道を歩いていた。人通りの少ない長閑な道である。皆がゆったりと歩いている。しかし、一人だけ走っている人間がいた。フヨウは、目を細める。
「マラボウストークではないか」
フヨウを見つけて、走ってやって来た小さな少年に、フヨウは微笑みかける。サクは、一度見たことがあるのか、いつもの貼り付けたような笑みを浮かべている。クリスとジェイクは、初めてのようで、誰なの、という顔で、フヨウを見ていた。
「フヨウ様、またお会いできて嬉しいです」
鮮やかな金髪を揺らし、青い瞳を細めて、少年は笑った。
フヨウは、船で助けた時のことを二人に話した。そして、マラボウストークに、今は何をしているのかを尋ねた。
「今は、火の国の領主様にお仕えしているのですが……ご子息のクロウ様が、家出をなさって、探しているのですが、見つからないのです」
だから走っていたのか、と全員が納得した。そして、荒い息遣いの小さな少年を、暇なのに関わらず、放っておくなんてことは、絶対にあってはいけない、と思った。
「私たちも手伝おう。何しろ、私たちのうち、少なくとも三人は家出中だからね」
きっと見つかるよ、とフヨウは笑った。
サクは、何か言いたげな目でフヨウを見ていて、クリスは、関係あるのかしらと呟く。しかし、マラボウストークは、目を輝かせて、嬉しそうに礼を言った。
マラボウストークが、クロウの身体的特徴を説明していた時だった。マラボウストークと同じぐらいの年をした鳶色の髪の少年が走ってきた。その表情は険しい。
「お前、悪い奴。父さんが言ってた。お前が、クロウ様を……」
フヨウやマラボウストークが何かを言う前に、少年はマラボウストークを指差して、そう言った。
「エルツァ、違うって言ってるだろ」
マラボウストークは、不快そうに目を細める。声は、決して荒くは無かったが、冷静さは、既にほとんど無かった。
「遥かなる大地の人間のくせに」
少年、エルツァの言葉に、マラボウストークだけではなく、フヨウも僅かに反応する。
「関係ないだろ」
マラボウストークはついに声を荒らげた。金髪が乱れ、青い目を更に細まる。
「お前らが使っている道具のほとんどは、遥かなる大地で作られたんだ。こんな領主国よりも、治安はずっと良い。どっちが魔界を支えているのか、考えてみろ」
マラボウストークの主張は正しかった。しかし、いつでも正論が通るわけではない。
「遥かなる大地の人間は、悪い奴だって父さんが言ってた」
エルツァは、マラボウストークの顔をしっかりと見て、怒鳴っていた。
エルツァは、マラボウストークよりも、精神的にずっと幼い、とフヨウは思った。マラボウストークが、年齢の割に大人びいているというのもあるのだが、どれにしても、両者の精神的な差は大きかった。
「父さんが言っていたって、お前が見たわけではないだろ」
マラボウストークの声は、小さくなっていたが、低くもなっていた。怒りの篭った声に、年相応の無邪気さを見つけることはできない。マラボウストークは、苦労を重ねてきたのだ。それが、彼を年相応に見せない原因の一つだろう、とフヨウは思った。
フヨウは、ゆっくりと息を吐くと、自分の仲間たちを見た。クリスとジェイクは、仲裁に入りたいようだったが、二人の話の意味が理解できないらしい。サクに至っては、止める気すらないらしく、涼しい顔で二人の少年のやり取りを見ていた。
フヨウは、静かに息を吐いた。
「マラボウストーク、言いたいことは良く分かる」
フヨウは、そう言って、エルツァを睨みつけるマラボウストークの頭を撫でる。
「貴殿は聡い。どうしようもない、と分かっているだろう」
マラボウストークは、不安げな顔で、フヨウを見上げた。
マラボウストークの主張は正しいが、エルツァは受け入れるには幼すぎるのだ。フヨウは、心の底では目の前の少年が、それに気付いていることを知っていた。
「大人は、ほとんど成長をしないが、子どもは成長する。待つことも大切だよ」
フヨウが、貴殿は正しいよ、とでも言うように微笑むと、マラボウストークは、素直に頷いた。
フヨウはそれを確認すると、不快そうに表情をゆがめているもう一人の少年に話しかける。
「あと貴殿、エルツァと言ったかね。貴殿の正義感は賞賛に値するが、一度、じっくりと周囲を見渡してみたまえ。世界は貴殿が考えているほど、単純ではないよ」
フヨウは、穏やかな笑みを浮かべ、流れるような声で言う。
「あんた誰だよ」
鳶色の瞳には、明らかな戸惑いの光があった。
「自己紹介が遅れて申し訳ない。私は、フヨウ。旅の剣士だ」
フヨウは、ゆらりと会釈をした。その奇怪な仕草にも、エルツァは戸惑いを隠せないようだった。何を尋ねようかと迷っていたようだったが、意外にも、彼が口を開くのは早かった。
「あんたは、悪い奴なのか」
「貴殿はどう思うかね」
フヨウは、間髪入れずに聞き返したが、声は穏やかだった。
「父さんに聞かないと」
フヨウは笑みを深めた。フヨウ特有の笑顔を強くして、何もかもを溶かすような雰囲気を纏う。しかし、馬鹿にしたような色は欠片も無い。
「エルツァ。貴殿は、真に正義を願うのかね」
鳶色の少年は頷いた。その目は、得体の取れない女を、しっかりと見据えているようだった。
「何が正しいか、何が間違っているか。貴殿のために、それを判断するのは、貴殿でなくてはならない」
フヨウは、鳶色の柔らかい髪の上に手を置く。
「私は善人だと思うかね。悪人だと思うかね」
その間は非常に長かった。誰も、何も言わなかったし、彼を焦らせもしなかった。
「分からない」
漸く出てきた声は落ちていた。フヨウは、嘲笑することも無く、ただ、笑った。
「そうか。そして、何故、貴殿は落胆するのかね。私は、自分を含め、誰が善人か、誰が悪人かは言えないよ」
それが意味することは一つだ。言えなくて当然。たとえ、フヨウがどんな性格で、どういう信条を持っているかを知っていたとしても、フヨウを善か悪かで分けるのは、非常に難しい。それを分かっていて、フヨウは訊いたのだ。
しかし、フヨウは決して目の前の少年を、馬鹿にしているわけではなかった。
「貴殿は、善を追及した。正義を追い求めた。その姿勢を取ることは、誰にとっても可能なことではない」
目を細め、穏やかに笑いながら、フヨウは少年を見た。
「大切にしたまえ。それを無くさずに、持ち続ければ良い。」
エルツァは、わけの分からないことを言う女を、見上げていた。不快な胸騒ぎを起こすのに関わらず、全てをそのまま受け入れているような女は、エルツァの理解の範疇を遥かに超越していた。
「貴殿のような人間が、必要なのだよ」
やはり、フヨウは穏やかに笑っていた。
「わけ分からない」
エルツァは吐き捨てるかのように言った。
「いつか分かって頂けると有難い」
怒ることも無く、失望することも無く、フヨウは目の前の少年を溶かし込む。
そして、二人の少年が落ち着いたところに、特有の低めの声で、伸びやかに言う。
「さぁ、気を取り直して、家出少女を捜そうではないか」
空は晴天。青空は深く、澄んでいた。
一行は、二手に分かれていた。クリスとジェイクとエルツァ。そして、フヨウとサクとマラボウストークである。
フヨウたちは、人捜しとは思えないほど、まったりと歩いていた。町中を駆け回っても見つからなかったのだから、再び走り回ってもしょうがない、というフヨウの意見が採用されてのだ。
一応、町の地図が頭に入っているマラボウストークを先頭にして、少し離れたところに、フヨウとサクは歩いていた。
「それで、この世に善人も悪人もいない、と言いたかったのかな」
サクは、貼り付けた笑みのまま、そう尋ねた。
「まさか。正義を追うのならば、真に正義を極めるように言っただけだ」
フヨウはさらりと答える。雲一つない天を仰ぎ、口元には微笑を浮かべている。
「サク殿、私とエルツァは似ているところがあるのだよ」
サクが、どこが、というかのように、僅かに顔を顰めたのを見て、フヨウは笑う。
「形無いもののために、必死になっていることだよ」
その声に、自嘲は全く入っていなかった。ただ、明るく事実を述べただけであるかのようだった。
「サク殿、彼は、純粋に、悪を憎んでいる。決して、父親に言われたから、悪を憎んでいるわけではない。父親に言われた悪を憎んでいるだけだ」
フヨウは、穏やかに笑っていたが、サクは無表情だった。鮮やかな青は、当然の如く揺れていたし、ぼんやりとした不審の光は、消えることは無かったが、サクは何も言わない。
「正義に対する不信感は、益々正義を貶める」
フヨウがそう言うと、サクは、呆れたように息を吐いた。サクは、正義と言う言葉を、端から信じていないだろう、とフヨウは思っていた。正義という言葉を受け入れられないのだ。
「正義を信じて行動する者は、大切になることだろう」
サクは何も言わなかった。フヨウもそれに対して、何も言わなかった。
サクのような人間は、増えていく、とフヨウは思っていた。そうなった時に、正義は正義ではなくなってしまう。誰かが信じなければ、正義は滅びてしまうだろう。フヨウはそう考えていた。
少し前を歩くマラボウストークが、心配そうにフヨウを見上げた。フヨウは穏やかな笑みを浮かべたまま、何も言わずに、ただ微笑んだ。
街外れの墓地まで辿り着いた時、フヨウは目を細めた。灰色の墓地を、火の国を示す真紅のコートを纏った人間が取り囲んでいた。まるで、墓地を守っているかのようだ。
しかし、それほど緊張感は無いようで、座り込んでいる人間もいた。一体この墓地に何があったのか、とフヨウは思った。
すると、フヨウの疑問を察したのか、マラボウストークが口を開いた。
「墓場から、骨が盗まれる事件が多いんです」
フヨウの表情が変わった。口元からは笑みが消える。ふらりと風が吹き、緩く束ねた緋色の髪を横に流した。
「マラボウストーク。クロウ嬢は、母親を亡くしているのかね」
威圧感のある声でも、切迫した声でもなかった。しかし、いつに増して、捉え所の無い声は、ぐわんと空気を揺らすような迫力があった。
「クロウ様は、お母様を亡くしてから塞ぎ込んでしまっていたのです。最近漸く元気になってきたかと思えば、家出をなさって……」
そんなフヨウを前にして、マラボウストークは冷静に説明をする。突然のことに、戸惑ってはいたようだったが、それでも自分の為すべきことをやりきることが、マラボウストークには可能だった。
「悪いね。用事ができてしまった」
フヨウははっきりと言い切った。サクは、目を細め、マラボウストークは、戸惑いの表情を浮かべている。しかし、フヨウは何も説明しなかった。否、できなかった。
「何とかして阻止しなければ」
夜の君主は、そう呟きながら、墓場の横の林の中に向かって、走り出した。
未だ、日は高い。
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