The Night Monarch
Unnatural Worlds


 フヨウは、林の中に分け入った。
「レティア殿」
 その声に応じるかのように、フヨウの目の前に現れたのは、深緑の精霊だった。
「我が君、如何なさいましたか」
 森の精霊、レティアである。茶色の衣に身を包んだ精霊は、深緑の瞳をフヨウに向けた。フヨウは、いつものように丁寧に挨拶をすることなく、普段よりは慌てた様子で、精霊に尋ねる。
「墓から骨を盗む者を知らないかね」
 精霊は、目を細めた。
「魔法の町に住むアンサーガ族のレール様だったかと」
 フヨウは、軽く礼を言うと、後ろを振り返った。そして、しっかりと林の中までついて来ている二人の連れに向かって言う。
「おそらく、クロウ嬢は彼のところにいるだろう」
 サクの表情は、明るくはないものの決して暗くなかった。怜悧な瞳は、木々の影の所為で、普段よりは幾分か暗かったが、それほど変わらぬ姿をしていた。しかし、マラボウストークは違った。
「クロウ様は、大丈夫でしょうか」
 フヨウの突然の行動、更に、精霊も初めて見たのだろう。フヨウの僅かな焦りも敏感に感じ取っていたのかもしれない。兎に角少年は。酷く不安げな表情をしていた。
「子どもといえども、ヴァンパイアの御姫様だ。易々と殺されることは無いだろう」
 フヨウは、普段と変わらぬ穏やかな笑みを、マラボウストークに向けた。


 サクもマラボウストークも、フヨウに、それ以上の事を聞かなかった。マラボウストークどころか、サクすら、フヨウの考えていることを理解してはいなかった。しかし、フヨウは言う気が無さそうであることを、マラボウストークは悟っていたし、サクは、強引にでも言わせることの多いのだが、今回の件はどうでも良いようだった。
 マラボウストークは、黙々と早足で歩きながら、レールと呼ばれる魔法使いの屋敷へ、二人を案内していた。マラボウストークが知っているぐらい、レールという魔法使いは有名だった。
 暫くして辿り着いたのは、周囲に立ち並ぶ屋敷と比べても、一際大きな屋敷だった。大きな林の前に立つ石造りの巨大な屋敷。その屋敷の大きさで、レールの名は知れ渡っていたのだ。
 フヨウは、その屋敷を見上げた。しかし、大きな門戸を叩こうとはしなかった。
「フヨウ様、どこに行かれるのですか」
 フヨウは、何も言わず、マラボウストークに微笑むと、早足で屋敷の裏へと回った。そして、林を掻き分けていく。
 マラボウストークも、サクも、それからは何も言わず、フヨウについて行った。


 林の奥には、灰色の小屋があった。小屋の周りには茶色の木箱が積み重ねられており、小屋の中も薄暗そうだったが、人の気配はあった。
「マラボウストーク、貴殿は人の死体を見ても大丈夫かね」
 フヨウは、しっかりと自分の隣に控える少年に、そう尋ねた。
「戻ります」
 マラボウストークは短く答えた。ただ、青い瞳は、何かを決めたかのようだった。林の中に、小走りで消えていく後姿は、立ち去るにしては力強い。
 フヨウは、同じようにマラボウストークが消えるのを見ていた青年を見た。青年はにやりと笑う。フヨウは溜息を吐いた。考えていることは同じなのだ。
 フヨウは、薄暗い小屋の裏に回った。そこには、灰色のローブを纏った男が立っていた。
 男は、フヨウに向かって何かを言おうとしたようだが、フヨウの只者ではない雰囲気に押されたのか、口を噤んだ。
「レール殿とは、貴殿のことかね」
 フヨウが比較的穏やかに尋ねると、そうですよ、と優しい笑みを浮かべて、男は答えた。
「貴殿は、一体何をしているのかね」
 フヨウは再び穏やかに尋ねる。
「何って、魔法の研究ですよ」
 フヨウは、そうか、とだけ言った。しかし、次の瞬間、空気が変わった。銀が空を斬る。
「できる限り、こういう手は取りたくなかったのだが」
 フヨウのククリは、レールの首下でピタリと静止していた。レールの顔が青ざめていく。
「もう一度問おう。貴殿は一体何をしている」
 僅かに低くなった声は、ただそれだけのはずなのに関わらず、迫力があった。
「蘇生魔法です」
 ぼそりとレールが答えた。ほう、とフヨウが口元を歪める。
「あと少しで、完成するんですよ。そうすれば、多くの人が幸せになれるのです」
 口から漏れた言葉は、本心のようだ、とフヨウは思った。必死さと、憂いの混じった声に、フヨウは目を細める。しかし、フヨウは動こうとはしなかった。
「誰だ」
 フヨウはククリを離さなかった。レールは、恍けた顔をして、フヨウを見た。フヨウはゆっくりと息を吐き、再び低く尋ねた。
「誰が指導しているのかね」
 しかし、フヨウの質問に、レールが答える必要は無くなった。
 小屋の裏扉が、ゆっくりと開いた。
「やはり、来ましたね」
 穏やかな声と共に現れたのは、銀髪の女性だ。ランシア・スカイアイ。レイピアを腰に差し、サクと同じ色の瞳をフヨウに向ける。
「ランシア嬢、貴殿が手を貸していたのか」
 フヨウは目を細めた。厄介なことになった、というのはこういう状況のことを言うのだろう、とフヨウは思った。不快を顕にするフヨウとは反対に、ランシアは余裕の笑みを浮かべている。そして、そのまま頷き、続けた。
「私は、人々の幸せを願っているのです」
 それが、嘘では無いことを、フヨウは知っていた。ランシア・スカイアイのような人間が、私利私欲で動くはずが無い。
「あなたは、分からないでしょう。あなたは、大切な人を、失ったことはありますか」
 林の中でも響きそうだ澄んだ声。フヨウとはまた違う鮮やかな色の微笑み。フヨウはそれから目を逸らすことは無かった。
「私は無いよ」
 フヨウは答えた。
「私は、両親を失い、育て親も失いました。エフィアとスフィアがいてくれたから、自らの命を投げることはありませんでしたが、もし、二人がいなければ、自ら命を投げていたと思います」
 ランシアはそう言い切った。僅かな余韻を含む低めの声は、決して演技では無いようだった。ただ、言い終わった後の、私ですら負けてるのに、というような微笑みは、フヨウを更に不快にさせた。
「人は生まれ、人はいつか死ぬ。貴殿は、そんな真理まで歪めてしまうというのか」
 フヨウは、夜の君主の声で言った。柔らかく、それがまた、壮厳さを引き立てているような声である。太陽は高い。しかし、纏う空気は、全て照らすような物ではなく、全てを包み込むような物だ。
「私は許さん」
 フヨウははっきりと言い切った。
「当たり前のように朝が来て、夜が来る。朝は明るく、夜は暗い。光が当たれば影ができる。何もしなくても、時は流れる。人が生まれ、人が死ぬ。それは、人間が決して手を出していけない領域だ」
 まるで、フヨウの言葉に同調するかのように、林が風でざわつき始めた。フヨウは、しっかりと地面を踏みしめのように、語り続ける。
「私は警告をしているのだよ。誰も気付いていない。不変の真理を操る魔法は脅威だ。それは、四界だけではなく、人の心まで駄目にしてしまう」
 そこまで言って、フヨウは溜息を吐き、どこまでも青い空を仰ぎ見た。
「何故、誰も気付かないのだ」
 口から漏れたのは、心からの嘆きの声だった。消えていくような掠れ掛かった声は、林のざわめきに消えてしまいそうなものなのに関わらず、しっかりと響いた。
「あなたは、私を止める気ですか」
 ランシアは、まるで子どもを相手にしているかのように笑った。
「勿論」
 フヨウは、そんなランシアに、さらりと答えた。
「剣だけでも負けるのに、魔法も使う私に、勝てると思っているのですか」
 ランシアは、優しく言った。ランシアが、フヨウを見下していることは明らかだった。
「勝てるのか勝てないのかが、問題なのではない」
 フヨウは、声を荒らげることはしなかった。それどころか、その声は、変わらぬ低さと重みを保っていた。
「私は訊いているのだ」
 風が止んだ。まるでフヨウに同調しているかのように、空気が変わる。前髪が、風で自然と分かれ、視界を広くする。
「貴殿は、一体どれだけ不自然な世界を創り続ければ気が済むのか、と」
 夜の君主は尋ねた。穏やかな笑みを浮かべ、ランシアにも勝るような落ち着いた雰囲気を纏う。声は、流れるようだったが、ずっしりと重かった。
 ランシアは、不快そうに目を細めていたが、すぐに元の微笑に戻った。
「世界は生きる者の為に在ります」
 ランシアの声は、まるで詩のように流れた。
「世界は、世界の為に存在しているのではないのです」
 柔らかな雰囲気と、明瞭な冷たさを含む声で、ランシアはそう言った。その口元には、余裕の微笑が浮かんでいた。
 しかし、フヨウは何食わぬ顔で言った。
「しかし、死んだ者の為に世界があるわけではないだろう」
「死んだ者を蘇らすことは、生きる者のためです」
 間髪入れずに、ランシアが言った。フヨウの笑みが消えた。しかし、それは負けを認めたような顔ではなかった。フヨウは、呆れたような表情を浮かべた。
「不自然だ。不自然なのだよ」
 フヨウの声が変わった。高らかに謳い上げるようなのびやかな声だった。しかし、それは叫びの如く、怒りや悲嘆や強さを持っていた。
 それと同時に、風が流れ、木々がざわめき始める。鳥が騒がしく鳴き始め、虫の声が響き、何かが動き回っているかのような草の擦れる音が聞こえ始める。
「不自然な幸福は、不幸に勝るというのかね。世界と生者を、貴殿はどれだけ愚弄すれば気が済むのかね。この偶然により生まれた、唯一の不変を壊してしまって、何が人の幸せだというのか。人のためであるというのか。刹那的快楽に走ること、それが如何に危険か。嗚呼、何故分からんのか」
 それはあまりにも大袈裟な声だった。しかし、決して贋物ではなかった。フヨウの本心であった。
「あなたは魔法を愚弄しています」
 ランシアの声は冷たかった。怜悧な顔から読み取れるのは、明らかな変化だった。
「魔法は人を人らしくするのです」
 明瞭で澄んだ氷のような声。しかし、それは熱で溶けるようなものではない。どんな熱にでも耐え得る氷のようだった。
 しかし、その変化をも、フヨウは気に止めてなどいなかった。
「だから魔法は駄目なんだ。魔法を使うのは人だから」
 更に林の音が大きくなり始める。空の青みが深まる。フヨウを包み込むようにして、否、まるでフヨウが纏っているかの如き空間。
「可能であれば、求め、使ってしまう」
 フヨウの糾弾と共に、林の音は上がり下がりする。
「魔法の全てを否定するつもりは無い。しかし、使わないに越したことは無い」
 フヨウの声は大きくなっていく。
「魔法を使うことが人らしいこと。それならば、魔法を使えない者は、人では無いのかね。貴殿らがばら撒いた魔法を、偶々受け取り損ねた者たちが、人らしくないと言うのかね。人か否かは、魔法によって決まるのかね」
 風が緩み、静かな空間に、一声、鳥が鳴いた。
「必要最低限の魔法でも、人らしく生きていける。私はそれを証明した」
 フヨウが大袈裟に体を動かした所為か、剣がカチャリと音を立てた。
「人も夜も無い世界。人の命を愚弄するような世界を、もと貴殿が作るのであれば、私は片っ端から破壊していこう」
 穏やかな笑みと共に発せられた言葉は、夜の君主の者以外の何の物でもない。
「それは、人を不幸にします」
 ランシアの声は冷たく穏やかだった。
「私は、誰よりも人を愛しているよ」
 フヨウはさらりと言った。しかし、それは決して取り繕ったわけではなかった。
「世界が真に壊れた時、人は必ず真の不幸を感じる。そして、破滅する」
 それこそまさに警告だった。流れる砂のような声が、続いていく。
「私は、人を滅ぼす気は無い。人を守りたいと思っている」
 フヨウの言葉を、ランシアは笑った。
「あなたは自分すら、守れていませんよ」
 それは痛烈な一言であった。しかし、それはあくまでも、第三者から見て、という話である。
 フヨウは全くと言って良いほど、動じていなかった。まるで、詭弁を相手にしているかのようだった。
「皆が皆、見えるものだけを守っていてはいけないだろう。守れる、守れない、それは問題ではない。見えない大きなものの為に、必死になることに意味がある」
 フヨウは穏やかな笑みを浮かべながら、続けた。
「誰かが、必ずその姿を見ているのだから」
 空気が動いた。しかし、それは人為的なものだった。激しい金属音が鳴り響く。
 ランシアの二本のレイピアと、フヨウのレイピアとククリである。素早くランシアの一撃をフヨウは流した。そしてね再び斬り掛かる。金属音が響き渡ること数回、粗互角の戦いだった。
「剣の動きが変わりましたね」
 金属音を響かせながら、ランシアが風に流す。
「汚い剣で申し訳ないね」
 フヨウは、相手の急所だけを狙っていた。その剣は、乱雑ではなかったが、上品とは言い難い。
 ランシアのレイピアが素早く動いた。間に合わない、とフヨウは思い、剣を手放した。
「あなたは……」
 レイピアの動きが止まった。その刃の先は、フヨウに到達していなかった。ただ、白銀は緋色に染まっていた。
 フヨウは、ランシアのレイピアの刃を掴んで、その動きを止めているのだ。
「フヨウ様」
 いつの間にか、おそらくフヨウとランシアが喋っていた時だろうが、マラボウストークは、皆を引き連れてやってきていた。傍にいる小さな少女が、クロウだろう。この小屋の近くにいたのを、保護したのだろう、とフヨウは思った。
 しかし、数がいれば勝てるという問題ではない。
「マラボウストーク、クロウ、エルツァ。ランシアに手を出さないでくれたまえ。何もしなければ、巻き込まれることはない」
 人を守りながら戦うのと、自分だけを守りながら戦うのでは、使う力が全く違う。
「貴殿らが戦ってどうにかなる者では無いのだよ」
 一対一の戦いでは、足手纏いだ。サクは、今回は不干渉を決め込んでいるらしいので、心配はいらない。
「あなたは、もう少し賢いと思っていました」
 剣を使っての状況打破は難しい。ランシアが力を入れたのか、フヨウの血が、ポタポタと落ちる。
 フヨウ、というクリスの悲痛な声が響いたが、何も起こらなかった。サクが咎めたのだろう。
「申し訳ないね。私は、誰よりも莫迦だ」
 ランシアのレイピアは動かない。フヨウの手から、血が流れ続ける。大地が、緋色に染まった。
「敵わぬ力に抗い続ける。ただ一人、叫び続ける。どれだけ愚弄されようとも、私は夜の君主になったのだ」
 フヨウは、ランシアに体当たりした。ランシアはすぐに体勢を建て直し、フヨウに斬りかかろうとした。しかし、遅かった。ランシアは、フヨウの剣しか見えていなかった。
 体勢を立て直したまに関わらず、崩れ落ちたのは、ランシア・スカイアイだった。
「だが、私はここで死ぬ気は無いのだよ」
 床に力なく横たわる女性に向かって、フヨウは穏やかに笑った。口元からは血が流れている。
「そういえば、あなたは龍でしたね」
 ランシアは、鮮やかな青い目を苦しそうに細めながらも、フヨウの方を見上げていた。
 龍の牙には毒がある。それは、人間の姿でも変わらない。その犬歯には、毒がある。
「致死量は入れていないはずだが、人間の肉体、効果は十分なようだね」
 フヨウの言葉に、ランシアは僅かな自嘲を浮かべた。
「遥かなる大地であなたを助けなければ良かった」
「その件は、感謝しているよ」
 フヨウはさらりと言った。そして、すぐに続ける。
「しかし、それとこれとは話は別だ。ランシア嬢、私が生きている内は、邪魔を覚悟してくれたまえ」
 フヨウは穏やかに笑った。全てを溶かし込むような笑みを浮かべ、懐からマッチを取り出した。魔法の計算や構築を記した紙を、小屋ごと燃やしてしまおうと思ったのだ。
「フヨウ様、待って下さい」
 しかし、それは冷えた声で阻止された。フヨウは、手を止め、声の主を見た。
 口を開いたのは、黒い髪の少女だった。幼い顔は強張っていて、黒い瞳は、しっかりとフヨウを捉えていた。

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