The Night Monarch
Unnatural Worlds
「どうしたのかね」
フヨウが穏やかに笑うと、クロウは、枷が外れたかのように喋り出した。
「フヨウ様、私のお母様は、生き返らないのですか。生き返ってはいけないのですか」
クロウは許しを請うかの如く、フヨウに尋ねた。漆黒の瞳は潤んでいる。
エルツァを除く者たちは、ただ、フヨウの反応を見ていた。どちらにもつかず、といった状態だ。しかし、エルツァだけが、ふようを睨みつけていた。
フヨウは、ゆっくりと息を吐いてから、クロウに尋ねる。
「貴殿は怖くないのかね」
フヨウの問いかけは、苦労を含め、誰も予想していなかった物だった。意味も分からない。向けられた視線の意味に気付いたフヨウは、再び聞き直す。
「生き返ったお母様は、怖くないのかね」
「怖くないです」
クロウは即答した。フヨウは穏やかな笑みを絶やさなかったが、僅かに目を細めた。
「そうか。怖くないか」
何度も頷くようにして、フヨウは引き下がった。
「フヨウ様は、怖いのですか」
今度は、クロウは尋ねた。
「私は怖いよ。死人は死人だ。死人が生き返るのは、怖い」
フヨウは再び穏やかに笑った。全てを受け入れるが故に、人を不安にさせるような笑みを浮かべ、小さな黒髪の少女を見る。
「あんなに御強いのに」
クロウの口から零れるようにして言葉が漏れた。信じられない、という言葉が、顔全体から浮かんでいる。
「もし、私がこの魔界で一番強くなったとしても、死人が甦るのは怖いと思うだろうね」
強さは関係無いのだよ、とフヨウは笑う。クロウは、納得いったのかいかないのか、無表情でフヨウを見ていた。そして、尋ねる。
「フヨウ様は、大切な人が亡くなって、蘇ったとしたら、どう思いますか」
「残酷な仕打ちだと思うよ」
フヨウは穏やかに笑った。
「大切な人は二回も、死ななければいけない。二回目は、私の手で殺さなければいけない。受け入れることができないのが、怖いからね」
フヨウの笑みが静かに引いていった。ただ、その低く滑らかな声だけが響く。
「見たく無いものを見せられ、認めたく無い事実を認めさせられた挙句、自ら始末をしなければいけない」
フヨウは一度言葉を切った。風が流れる。
「これ以上に、酷い仕打ちがあるだろうか」
フヨウの声は、大きな太鼓のように響いた。決して、大きな声ではないが、反響し、共鳴する。
「もし、大切な人を亡くして、悲しくて何もできなくなってしまったら……」
クロウは何かの答えをフヨウに求めるかのようで、必死な様子だった。
「私は、善人では無い。大切な人のそのような姿を見るのならば、自ら死ぬことを選ぼう」
フヨウはさらりと言った。その言葉には、クリスやジェイクも目を細めた。それは、あまりにも酷な言葉だった。ある一人を除けば、フヨウが慈愛の精神を持ち合わせていると信じているのだ。
「私は、死ぬべきだったのですか」
その言葉は、雫のように潤っていた。クロウの言葉に、非情な君主と呼ばれた女は、薄らと微笑む。
「これは、あくまでも私の場合だ。貴殿とは、全く違う」
クロウはフヨウをぼーっと見つめた。
「火の国の時期領主、ヴァンパイアの時期女王。貴殿は、生きなければいけない」
フヨウは謳い上げるかのように言った。それと同時に、林がどよめく。
「大切な者の死は、誰にでも起こり得ること」
フヨウの言葉は続く。林は、それと同調する。
「火の国の時期領主、ヴァンパイアの御姫様であろう者が、何故逃げるのか」
大げさな動きと共に、低くも伸びやかな声が響き渡る。
「この世の多くの者は、必ずしも、強くある必要は無い。しかし、貴殿は違う」
風の纏う空気が変わった。
「しかし、生まれながらにして、背負っていた石を、貴殿がどう思うかは、貴殿次第だ。貴殿の世界は、大きく変わることができる。貴殿にはその力がある」
穏やかな声は、さらりと風に流されているかのように続いた。フヨウは、微笑むことも無く、苦労を見ていた。
「何故、私は強くならなければいけないのでしょうん」
クロウの悲痛に溢れた疑問は、風の中に取り残されているかのようだった。
「貴殿が強くなれるからだよ」
フヨウは、クロウが口を開く前に続けた。
「そう思うしか、無いだろう」
クロウは、ぐったりと座り込んでしまった。俯いて泣いている。
フヨウは慌てる様子も無かった。他の者も、フヨウを咎める気も無かった。フヨウの言っていたことは、間違ってはいなかったし、それがたとえどれだけ辛くても、誰かが彼女に言わなくてはいけなかったのだ。
しかし、どうしようかと困るのは、自然なことだった。フヨウは、次に掛ける言葉を考えていた。
「クロウ様、領主様も心配なさっていますよ」
マラボウストークが助け舟を出した。しかし、あまり助け舟にはならなかった。
「お父様は、お母様が死んでも、全然変わらなかった」
それは、クロウが隠し続けてきた言葉なのだろう。熱を持った言葉は、強かった。
そんなフヨウに、フヨウは穏やかに微笑む。
「それは、領主殿が、強かったからではないのかね」
慈愛の精神が垣間見える言葉ではなかったものの、フヨウの言葉は優しかった。全てを溶かし込むような、安心感を与える声。たとえ、それが、人を不安にさせる二面性を持っていたとしても、フヨウの声は、全てを包み込むようなものだった。
「周囲が期待する自分かに負けぬよう、悟られぬようにしてきた領主殿の強さの表れではないのかね」
領主を知らないフヨウは、声をゆっくりと風に流す。
「貴殿がいなくなった時、領主殿は誰よりも慌てたのではないのかね」
クロウは何も答えなかった。ただ、首を僅かに横に振っていた。
「ええ、領主様は、取り乱しておいででした」
再び、マラボウストークが、助け舟を出した。真実であるかどうかは問題では無い。
「私は、貴殿がいたから、領主殿も強くなれたのかもしれない、と思っているよ」
フヨウは穏やかに笑った。クロウは、顔を上げ、潤んだ目をフヨウに向ける。
「フヨウ様、私には、あなたの言っていることが分かりません」
クロウはしっかりとフヨウを見た。黒い瞳は、草原色をしっかりと映している。領主の眼差し、女王の眼差し。それが何かは、フヨウにも分からなかったが、強い眼差しだった。
「でも、帰りたくなりました」
比較的落ち着いたクロウの言葉と同時に、小屋に火が点いた。小屋を包む炎は、ゆらゆらと燃える。
フヨウは微笑んだ。
「さぁ、帰ろう、クロウ」
フヨウが差し伸べた手の上に、小さな手が静かに乗った。
フヨウたちが歩き出そうとした時、サクが未だに地面に横たわる女に言った。
「ランシア・スカイアイ、意識はあるのかな」
フヨウが立ち止まるより前に、クロウが立ち止まった。帰る意思はあるようだが、サクを待ちたいらしい。
ランシアは、サクの方に細くなった目を向け、口元に僅かに笑みを浮かべた。
「あんたは、全く筋が通っていないよ」
サクは、さらりと言った。サクは、ランシア達が不幸にした人々を見てきたのだ。
「両親の体を乗っ取ったことを恨んでいるのですか」
掠れた声は、何とか聞き取れるか聞き取れないかのようなものだった。
「そういうわけではないけど、少し気に掛かったもので」
それは、強がりでもなく、本心のようだった。サクは、余裕の笑みを浮かべていた。サク・セイハイは強い。与えられないものに、不満を感じるなどということは、ほとんど無い。
サクは、この件に関しては、微妙な位置に立ち続けている。しかし、冷静だった。
そんな時、ふわりと風が吹いた。それと同時に、小屋の陰から、長身の男が出てくる。サクに良く似た男。エフィア・ナイトエレジーだ。
「ランシア、どうした」
命に別状が無いことが分かっているのか、焦った様子では無かったものの、ランシアのところへ早足でやってきたのだから、かなり心配をしていたようではあった。
「龍に噛みつかれました」
ランシアは、口元に緩やかな笑みを浮かべ、掠れ声で言う。
エフィアが、フヨウの方を振り返った。小屋の炎と対照的に、男の眼光は異様に冷たい。
「夜の君主、命の覚悟はできているのだろうな」
唸るような低い声は、小さな子どもたちどころか、クリスやジェイクまでもを怖がらせるのに、十分なものだった。
しかし、フヨウとサクは、それ程動じていなかった。
「命を愚弄してはいけない。貴殿は分かっているのだろう」
フヨウは、ゆっくりと言った。
「それは、問題ではない」
エフィアがそこまて言ってから漸く、フヨウは何故この男が怒っているのかが分かった。エフィア・ナイトエレジーは、フヨウが思っていたよりも、ずっと単純らしい。
「騎士様を傷つけて、申し訳なかったね」
フヨウは漸く正解に辿り着いたのだった。エフィアは、溜息を吐く。
「しかし、私も彼女を傷つけずに諦めさせるほど、強くは無いのだよ。その辺りは精進するよ」
笑いながら、フヨウはさらりと言った。
「サク、もし、彼女が死なないことを望むのならば、覚悟をしなければなりません」
ランシアは、声こそ弱弱しいものの、その眼差しはしっかりとしていた。
「僕は、彼女の言ったことを肯定しているわけではないよ」
サクははっきりと言った。フヨウは何度も頷く。
サク・セイハイは、フヨウの考え方を肯定することはできない。
「お前は、いつも逃げ腰だ」
エフィアの言葉に、サクは微笑む。
「逃げてはいない。ただ、立っているだけ」
それがどれだけ彼にとって意味のあることか、目の前の二人は理解していないのだろう、とフヨウは思った。逃げるにも、進むにも、後のことを考えなくてはいけない。サクは、いつだって一番重要なのは、現在だ。現在、立っているか立っていないかが重要なのだ。そこには、逃げるも進むも無い。
「僕は、騎士様ではなくて、魔法使いなんだよ」
そして、サクは、やんわりと、人の悪い笑みを浮かべた。その深さが分かったフヨウは、笑みを深めた。
フヨウは、クロウの隣を歩いていた。フヨウの手は、クロウの手を包むことなく、お互い握り合っていた。
「フヨウ様は、誰かの為に、強くなったのですか」
クロウは、隣に立つ女性を見上げて尋ねた。
「最初はね。だが、立場は逆だよ」
フヨウは、優しく笑った。まるで、何かを諦めた時のような笑顔だった。
「しかし、私は、大切な人を裏切ってしまった」
どんな時でも、フヨウの声は、ある一線を越えない。どれだけ、その言葉が感情的になろうとも、声はあまり変わらない。
「後悔なさっているのですか」
クロウは、この、未だ理解ができない女性に、恐る恐る尋ねた。
「私には力が無いからね。どうしようも無かった」
フヨウは意外にも、あっさりと言った。
「しかし、貴殿には、そのようなことにならない力がある、と私は思っているよ」
フヨウは、そう言って、穏やかに笑う。クロウは、この笑顔が好きだったが、一番、よく分からない笑顔でもあった。
「買い被り過ぎです」
クロウがそう言うと、フヨウは笑みを深めた。
「私はね、人を見る目だけはあるんだよ」
伸びやかな声は、真実を語っているように聞こえた。
クロウをマラボウストークが呼び、クロウがそちらに行ってしまった後、フヨウのところにやってきたのは、エルツァだった。
「フヨウ様、よく分からない」
小走りでやってきた少年は、来るや否や、そう言った。
「あの、ランシア様という御方も、フヨウ様も、悪い人には見えなかった」
返答を急かすように、エルツァはフヨウを見上げた。
「もし、貴殿が正義を追及するのならば、貴殿の進む道は、決して温かくは無いだろう」
フヨウはゆっくりと歩きながら言った。厳しさの欠片も無い、穏やかな口調で話す。
「見えない物のために戦うには、非情にならなくてはならない時がある」
フヨウに、エルツァを咎めるような色は無かった。励ますような雰囲気も無かった。ただ、ゆったりと話す。
「何が正しくて、何が間違っているか。何が正義で、何が間違っているか。答えを追い求めれば良い」
フヨウはそう締め括った。
「どうすれば良いんですか」
黙って聞いていたエルツァは、そう尋ねた。
「多くの物を見て、多くの人と話せば良い。何度も何度も、自分の価値観を変えていけば良い」
フヨウは穏やかに笑い、小さな頭の上に手を乗せる。
「貴殿はまだ子どもだ。可能性がある」
フヨウを見上げた鳶色の瞳に映った空は、赤味が差していた。
マラボウストークとエルツァにクロウを任せ、四人は宿に戻った。そして、宿の食堂で、夕食を摂った。
「あんたさ、絶対、同世代の一般的な男には好かれないわね」
クリスは、パンを切り分けながら、向かい合って座っていたフヨウに言った。口元には、悪戯っぽい笑みが浮かべられている。
「そうだね。実際嫌われていてるよ」
そう言いつつ、フヨウは少し離れたところを歩く、銀髪の青年の方に目をやった。
「だって、あなた格好良すぎるもの」
その格好良いには、どんな意味があるか、フヨウには分からなかった。
しかし、何にしても嬉しい。
「お褒めの言葉を頂き、光栄極まりない」
フヨウは、口元を緩めた。クリスも笑う。開いた扉から入ってきた風が流れた。
フヨウは、どんな者にも敬意を示すのだ。
夕食を済ませた後、クリスとジェイクは早々と部屋に戻ってしまった。サクは、フヨウと宿の一階のソファーで寛いでいた。
「漸く、夜の君主、という意味が分かったよ」
サクは、目の前に置いてあったお茶を飲んだ。
「あんたは、夜を司る守護者なんだね」
そう言って、窓の外の闇に目を向け、葡萄ジュースの入ったグラスを傾けている少女に言う。闇を纏い、夜のように人に何かを気付かせる。それが、フヨウという人物だ。
「強ち間違っていない」
フヨウは、サクの方に顔を向け、穏やかに笑った。
「だから、あんたの言う、不変の真理や、自然に愛されている。あんたが、らしいこと言えば、それらは共鳴する」
先程から、フヨウは、口元に笑みを浮かべ、幸せそうに葡萄ジュースを味わいながら、時折、橙色の光に眩しそうに目を細める。サクがフヨウにそう言うと、フヨウは短く答えた。
「そうだね」
フヨウは相変わらずだ。
世界に愛されているとは、こういうことを言うのだろう。それは、四界の一つである、世界ではない。昔、一つであった世界に愛されている。サクはそう思っていた。
「でも、僕はあんたの考え方を、一生認めることができないと思う」
サクはさらりと言った。温かいお茶は、それ程美味しくも無い。
紫色のグラスに映ったフヨウの緋色は、もうその色を無くしていた。しかし、影はある。グラスを掲げ、それにサクを映すようにしながら、フヨウは答えた。
「そうだろうね」
そう言って、フヨウはふわりと笑う。
「あんたは、僕を受け入れるとは言った」
「言ったよ」
フヨウの滑らかな声が、静かな宿の一階を流れる。
「でも、夜の君主は受け入れる気が無いのだろう」
サクがにやりと笑って尋ねると、夜の君主は小さく頷き、伸びやかな声で答えた。
「君が肯定すれば、君は自分の存在を否定することになる」
フヨウは全く悪びれた様子を見せなかった。ただ、いつもの笑みを浮かべ、サクの方を見ていた。
それは、サクが今回、最後まで不干渉を決め込んだ原因でもあった。サクは、フヨウの味方にはなれない。魔法によって生み出された血を引くサクは、フヨウの考えを肯定することはできない。
いくら、サクがセイハイの行動を否定しようとも、サクがセイハイであることは変わらない。エルフにとって、サクはサクであるが、夜の君主にとっては、サクはセイハイなのだ。
「人で無いということを言うよりも、それは更に酷い。その存在を、否定するのだからね」
さらりとフヨウはそう言った後、こう続けた。
「結局、私と君は、相容れぬ者だった」
フヨウは、そう言って、くつくつと笑う。
「君は最初から気付いていたのではないのかね」
直感的には気付いていたかもしれない、とサクは思った。彼女が夜のような存在であり、自分がその本質まで、しっかりと感じ取ることができる程敏感だった。それは、あくまでも、理由の一つだったかもしれない、とサクは思った。
フヨウの言葉に、サクは、さぁね、と軽く答えた。そして、葡萄ジュースをグラスに注ぐフヨウに言う。
「あんたは本当に馬鹿だ」
さらりと言った言葉に、フヨウが怒ることは無い。
「私は馬鹿だ」
フヨウは、彼女にしては明るく笑った。
「四界に堂々と宣戦布告した人は、多分、あんたが初めてだろうね」
サクは、光の中心であるランプを一瞥してから、そう言った。
「それが夜の君主だ」
フヨウは穏やかに笑った。
「たとえ、どれだけ罵られようとも、私は夜の君主だ」
夜が深くなり始めた。窓の外の闇が、サクのいる宿の中までやってきていた。
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