The Night Monarch
Night Abyss
水から上がった二人は、静かに路地を歩いていた。二人とも当然の如く服が乾いているが、それぞれ別の方法で乾かしていた。魔法で乾かしたのはサク、異様に早い自然乾燥はフヨウである。
「あんたは精霊に好かれているみたいだね」
長い沈黙の後、サク・セイハイはそう切り出した。
「まぁ、私のことが嫌いな精霊もいるだろうが、知り合いは、人間よりも精霊に多い。私は夜の君主であるからな」
サク・セイハイは、夜の君主と言うのは、と尋ねてくる。やはり、人間は知らないらしい。闇と夜は違うのだ。サク・セイハイが纏う物は闇であり、フヨウが纏う物は夜だった。サク・セイハイは、心に夜を持っている。だが、あくまでも彼全体の比率は、闇に大きく傾いている。
「不変の真理に仕える中で、私は夜と同調した」
もう真夜中だ。闇は一層濃くなり、静寂は増している。サク・セイハイは目を細め、横目でフヨウを見ていた。ぼーっと佇む青は闇の中で僅かな光を持つ。
「世襲制かい」
魔界のほとんどは世襲制だ。サク・セイハイはゆっくりと訊いてくる。慎重に、言葉を選んでいる証拠だ。
「否、不変の真理に仕える者は、選ぶ」
すぐに答えれば、サク・セイハイは、鋭く聞き返した。
「選ばれる、じゃなくて」
それし、非常に良いところをついていた。フヨウは感心する。魔界の政治を独占するセイハイ族の嫡男というだけはある。
「選ぶのだ……ただ、覚悟は要る。まずは、魔法を捨てなければいけない」
そう言えば、サク・セイハイはすぐに、にやりと笑って言った。
「それで、君は魔法を使わないんだ」
「それも、理由の一つではあるだろうね」
さぁ、クリス嬢も心配しているらしいから、早く帰ろう、とフヨウは間髪入れずに言って、早足で歩き始めた。後ろを歩く青年は、ずっと何かを考えているようだった。
サク・セイハイの心は酷く歪んでいる。しかし、それ以前に、彼は優しいのだ。困っている弱者を放っておくことはできない。そして、責任感もある。おそらく、自分の闇を理解することは叶わないだろう、とフヨウは心の中で笑った。
魔界では、女に逆らわないのが身のためである、と言う言葉を残した男がいるという。フヨウは、その男に心から共感していた。
「夜をふらふら出歩くなんて……私がどれだけ心配したと思ってるのっ」
朝から何度目なのか分からないクリスの言葉に、フヨウはげんなりしていた。ジェイクとサク・セイハイは無干渉を決め込んでいるようで、先ほどから少しばかり離れたところを歩いている。
太陽は限りなく明るくて、賑やかな一行の旅立ちを祝っているかのようなのに、フヨウの心は酷く沈んでいた。昨日から様々なことがあり過ぎて、非常に疲れているのだ。
「心配して頂き、本当に申し訳ないと思っている。しかし、この町の治安は良い。心配する必要はないよ」
返答の言葉も尽きていて、このように返したのも、おそらく数回目である。クリスは未だ何かを言い続けている。フヨウは心の中で、クリスの底無し沼の如き体力に感心する。
「クリス、そのぐらいにしなよ。フヨウも反省しているみたいなんだから」
その声に振り返ると、サク・セイハイは、柔らかく微笑んでいた。ただ、それが純粋なものであるはずはない。
そうね、と引き下がるクリスに感謝しながら、フヨウは聞こえるか聞こえないかの境程の声で呟いた。
「さり気なく夜の散歩に参加した者が言う台詞ではないだろう」
クリスとジェイクは全く気がついていない様子だった。ただ、サク・セイハイは、毒の篭った爽やかな笑顔でフヨウを見た。それがあまりにも面白くて、フヨウは笑ってしまった。取るに足りないやり取りは久しぶりだったのだ。理由を尋ねるクリスに、仲間と旅は楽しい、とフヨウは答えた。
フヨウは、クリスの案で葉の国に向かっていた。元々フヨウは、際立った目的無しに旅をしていたので、どこへ進もうと構わなかった。海の国から内陸に進み、葉の国を目指すために、通るのは、森の中の小道である。フヨウたちが森に入って、一週間が経った。
一週間も旅をしていると、フヨウは三人の大体の役割や関係を掴めてきた。
この一行で主権を握っているのは、クリスである。目的地などは、彼女が決定権を持つ。しかし、宿の確保や、食料の買い込みなど、細かいことは、魔界人であるサク・セイハイが決めているらしい。
この青年は、クリスに意見を述べることもあり、クリスも意見を取り入れることが多い。しかし、二人の間には、確実に高い壁があった。元々サク・セイハイは、人と一線を引いて接するが、クリスとは、本当に必要以上には話さない。クリスとサク・セイハイが仲良く雑談しているのも想像し難いが、とフヨウは思っていた。二人は、フヨウが見る限りでは似ていた。しかし、似ているからといって、気が合うとは限らない。
そして、三人の中では、ジェイクが一番社交的である。冷静で、いつも余裕がある。クリスからは、頼りにはされていないものの、信頼されていることが、フヨウにもすぐに分かった。サクも、気を許しているわけではないが、クリスほど冷たい雰囲気はなかった。
クリスたちの旅を始めて、フヨウには、気になることが、いくつかあった。まずは、旅をしていて、一度も盗賊に襲われたことがないということだ。海の国がいくら治安が良いとしても、盗賊が全くいないなどということはあり得ない。一週間も歩けば、必ず一回は襲われるはずである。
そして、もう一つは、サク・セイハイであった。
森の小道にある、ベンチに簡単な屋根を取り付けただけのような小さな休憩所で、フヨウたちは休憩を取ることになった。フヨウはベンチに腰掛けた。森の木々はそれ程高くはないが、太い幹と生い茂った葉からは生命力が感じられる。水筒のお茶を少し飲んでいると、ふらりとサク・セイハイが森の中に消える。
サク・セイハイが突然ふらりと消えることが、度々ある。初めの頃はそれ程気にしていなかった。しかし、今は確信に近いものをフヨウは持っていた。
魔法とは便利なものである。特有の鉄の匂いをも、消し去ることができる。大抵、魔法を使った後には痕が残る。しかし、優秀な魔法使いはそれを残すことなく魔法を使える。サク・セイハイが優秀な魔法使いであることは、判明済みだ。
フヨウは黙って立ち上がり、眼を瞑る。フヨウの聴覚は、人間よりもずっと良い。耳を澄ませば、木々のざわめきの中、小さいながらも、硝子が割れるような音が、何度も耳に届いてくる。魔法の音である。
「フヨウ、どうしたの」
クリスはフヨウを見上げそう言った。フヨウの突然の行動に、驚いたようであった。
「ちょっと辺りを探索してくるよ。貴殿はここで待っていてくれたまえ」
フヨウはそれだけ言って、歩き出した。向かう先は、揺れる水面のような青年魔法使いのいる場所である。藪の中に入るとすぐに、胸騒ぎするような強い血の臭いが漂う。フヨウは長いマントを体に巻きつけ、走り出した。地面の枯葉を踏む乾いた音が、場違いに聞こえるほど静かである。
薄暗い世界に光が差し込んだ。人の声がする。そのまま走り抜けると、限りなく明るい開けた場所に出た。
金属音が響き渡る。フヨウは手早く抜いたレイピアとククリで押す力を抜き、素早く移動して大柄の盗賊を受け流す。次の盗賊の相手をしながらふと横を見ると、派手に転んだ大柄の盗賊に、漆黒の槍が突き刺さっていた。闇魔法である。
「こうやって、貴殿は、二人に見られずに、盗賊の始末をしていると言うわけか」
姿を見る余裕はない。盗賊の怒声の中で聞こえたかどうかも分からない。ただ、この場にいることは確実である。フヨウは盗賊の腹をレイピアで軽く突き、怯んだ瞬間、ククリで喉を斬る。船の上ではないため、生かしておく必要はない。
「面倒だから」
それは、それほど大きくない声だったが、よく通っていた。近いところで戦っているのだろう。もうフヨウは何人目かになる盗賊を斬る。一瞬できた余裕を使い、あの青年の位置を確認する。銀色の髪は赤黒く染まっていて、その肌にも血が垂れている。大掛かりな魔法も使えず、接近戦を余儀なくされている所為であろう。
「そういえば、御二人は天界人だったね」
再び、襲い掛かってきた敵を容赦なく斬りながら、フヨウは言った。フヨウには余裕があった。フヨウにしてみれば、盗賊はそれ程強くない。その上、フヨウは一対一の戦闘よりも、数人の弱い敵を相手にする方が得意だった。
暫くすると、そこは静寂に包まれた。フヨウは重くなったマントを脱いだ。マントを絞ると、ダラダラと紅い液が地面に落ちる。皮袋から手早く布を取り出しマントを詰め込み、布で手を拭き、それも皮袋に詰め込む。
「あんたも容赦ないね」
フヨウは一通りの作業を終え、皮袋を仕舞う。声に反応して前を向くと、木々の狭間にサク・セイハイがにやりと笑って立っていた。何事もなかったかのような状態である。
「自ら刃を向ける者には容赦しない」
近くまで歩いていき、フヨウは穏やかに笑う。
後ろを歩きながら、フヨウは鞄から緑色の液体の入った子瓶を取り出した。コルクの蓋を開けると、周りの木々の匂いが鼻を突付く。それを少し掌に出し、肌や服に染み込ませる。臭い消しである。
「貴殿も、ご苦労なことだね」
漸く証拠隠滅の終わったフヨウは、黙って歩くサク・セイハイに言った。歩き続ける魔法使いは振り向きもしない。
「何でここに来たのかい」
休憩所も近くなったとき、サク・セイハイはフヨウにそう尋ねた。
「私は戦うべき者だろう」
それ以上、フヨウは何も言わなかった。フヨウも、おそらくサクも、人を殺すことに罪悪感を感じない。各々の考え方で、それを正当化してしまっているのだ。それが良いことであるはずはない。
「悪いこと、とも言えないね」
休憩を終え、元気溌剌のクリスと、呆れ気味のジェイク、先導をしているサクから少し離れたところで、発せられた呟きは、深い森の中で消えた。
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