The Night Monarch
Crystal of the Darkness
サク・セイハイが突然失踪したのは、葉の国に着いてからだった。宿からふらりと出て行ったと思ったら、数時間帰ってこない。フヨウがクリスに尋ねたところ、今までにこういうことはなかったらしい。町中を探し回ったが、結局、夜になれば宿に帰ってくるだろう、ということで、クリスとジェイクは眠ってしまった。
フヨウはふらりと宿の外に出た。木々のざわめきが響いているが、静かな夜である。
葉の国は、巨大な森の中に佇む小国である。治安は悪くない。水と果物に恵まれ、交通の便が悪いがためである。静かでもなく、騒がしくもない夜。宿の前で空を見上げると、くっきりとした満月が目に入る。
「あれからもう十五夜かな」
フヨウは呟いた。
船で青年魔法使いと会った日の夜は、朔月だった。フヨウが最も愛する夜だ。闇と夜が最も近くなる夜。不安定な闇を持つ青年と、夜の君主が会った日。実に相応しい、とフヨウは思った。
フヨウはふらりと歩き出す。あの青年が、たとえ旅の仲間と一線を引いていたとしても、何も言わずに去るはずがない。特に、消えた青年は、クリスとジェイクの二人旅を、放っておけなかったのだろう。だから、共に旅をしていた。それは、たとえ一行にフヨウが加わったとしても、変わることはないだろう。
それに、フヨウは青年が何かを起こそうなど、考えていないように見えた。否、考えているようには見えなかったのだ。不安定な青年は、自分の思いを完全に隠すことはできないはずである。
そして、何より、青年には、無理矢理連れ去られる理由があった。
「家出御嫡男も考えものだね」
悪くはないが、とフヨウは心の中で付け加える。
向かう先は水辺。フヨウは真っ暗な森の小道をゆったりと進み、満月を反射してゆらりと輝く小川に腰を下ろした。すると、ぽちゃりという音と共に、月光の当たる水面に小さな精霊が顔を出す。親交のある水の精霊、シアリンである。
「我が君、お待ちしておりました。海の精霊セレスティアを襲ったらしい人間に、サク様が連れ去られたと、森の精霊が……」
慌てた様子で喋りだす小さな水の精霊を、フヨウは落ち着かせるようにゆっくりと言った。
「シアリン嬢、そうだと思ったよ。サク殿どこにいるか分かるかな」
フヨウが穏やかに笑ってそう尋ねる。シアリンは驚いたような表情をしたが、すぐに落ち着き、口を開いた。
「我が君が、御宿泊なさっている宿より一歩奥に入った通り。焼き菓子の店の隣にある倉庫のある家です」
「感謝する」
フヨウは丁寧に礼を言うと、再び来た道を早足で歩き始めた。おそらく、サクはまだ倉庫にいるだろう。森に出れば、森の精霊に見つかるはずである。
フヨウは静かに歩き続けた。満月は明るい。静まり返った町の中、宿より奥の道に入り、焼き菓子の店を通り過ぎる。そして、すぐ隣にある小さな木の家の前で立ち止まった。小奇麗な木の家の後ろには、それ程大きくないが、倉庫が見える。
夜は限りなく穏やかだ。フヨウは黒っぽい扉を軽く叩いた。返事はない。勿論、扉には鍵が掛かっているようだった。
フヨウは溜息を吐いた。朝までここで待っているなどということは、御免である。フヨウは、基本的に失礼な真似はしない主義ではあるが、そうも言っていられない。
フヨウはマントを体に巻きつける。二階建ての小屋の上に広がる、満月の浮かぶ空を見る。そして、周囲を用心深く窺う。しかし、辺りは風のざわめきしか聞こえない。
フヨウは飛び上がった。そして、小屋の屋根に音なく着地する。フヨウは特有の身体能力に感謝しながら、慎重に屋根の上を歩く。そして、丁度反対側に、窓を見つけた。大抵、木造の家にはついているのである。
窓は僅かに開いていた。フヨウはゆっくりと窓を開け、体を中に入れる。
中にはベッドが二つあり、毛布の下には人の膨らみがあった。フヨウは静かに近寄り、形を観察した。赤々としたランプに照らされている所為で、形がはっきりと見て取れる。
フヨウはゆっくりと息を吐いた。そして、レードを抜く。そして、手前の膨らみの中心をレードの柄で刺す。奇妙な声を上げる膨らみを無視して、フヨウは奥の膨らみに言った。
「今晩は満月だよ、サク殿」
膨らみが消えた。フヨウはすぐに後ろを向いた。漆黒の窓の傍に、銀色の髪の青年が立っている。薄らと笑みを浮かべている青年は、紛れも無いサク・セイハイである。しかしその瞳は、限りなく不安定に揺れていた。いつもの鮮やかな青にも、黒い影が差している。
「流石だね」
サクは、余裕の表情を浮かべている。しかしフヨウは、本当に危うい、と思った。ただでさえ不安定なのに関わらず、さらに何か重いものを背負い込んだようである。しかし、それで冷静を装うことができるのは、青年の意志の強さなのだろう、とフヨウは思った。
「私には素晴らしい友人が多いのだよ」
「精霊を利用したということだね」
サクは蔑みを含んだ笑みを浮かべた。サクは、自分を悪としたいのだろう、とフヨウは前々から思っていた。サクは、未だフヨウに対する違和感、つまり嫌悪の理由を理解していないのだろう。悪と認識することによって、何とか片付けている状態だ。しかし、違和感を感じるだけ、他の人間よりもずっと聡いのだ、とフヨウは考えた。
そんなことを考えながら、フヨウは薄らと笑みを浮かべた。どちらにしろ、フヨウは不快ではなかった。
「否、精霊が心配していたよ。海の精霊セレスティアを襲ったらしい人間に、サク殿が攫われた、と」
フヨウは穏やかな笑みを浮かべた。
精霊たちは、サクに感謝していた。サクが自分たちを襲った民族出身だと、気付いている者もいるだろう。しかし、彼らは感謝しているのだ。夜の君主の前で、魔法を使うことは、無礼だと彼らは思っているのだから。
「何故、ここに来たのかい」
サクは窓の傍から離れようとしない。フヨウはそれが苦し紛れの問いであることを見破った。もう、サクは限界近いはずである。いくら余裕の表情を浮かべていても、精神的にはかなり追い込まれている。
「それは、貴殿が尋ねることではないだろう。では、貴殿は何故そのような顔をしているのかね」
そう聞き返せば、サクの表情がぐらつく。余裕の表情が崩れ始める。意識が他のところにいっている証拠だ。
「一人で背負い込むのは結構だよ。私は前々から訊きたかったのだ。貴殿はいったい何がしたいのかね」
フヨウはさらに問う。サクは口を開こうとしない。何を言っても、それは自分を危険に追い込むことになることを、本能的に分かっているのだろう、とフヨウは思った。サク自身、自分に余裕がないことを十分理解しているのだろう、とフヨウは思った。
「答えられないだろう。何せ、貴殿は、自分を一番理解していないのだよ。もし、私が貴殿に行動の由を申し上げたとする。しかし貴殿が、自分を理解しないで、夜の君主の行動を理解することなど、不可能だ」
サクは一瞬だけ表情を変え、すぐに無表情になった。
「あんたに会うことはもうないだろうね」
サクのその言葉の直後、凄まじい勢いで空気が歪んだ。瞬間移動の魔法である。今は強大な魔法で禁じられているはずである空間移動の魔法。しかし、今の魔力は強大だ。それを打ち破ることができるだろう。それは、明らかに彼自身の力ではない。
「これが世に聞くセイハイの力ということか」
四界の力を使って魔法を使うセイハイ族。四界と言葉を交わし、四界に最も愛される民族。空気は発散し、元の空間が戻り始める。
「厄介だ」
自己嫌悪に苦しむことになるのは確実であるのにね、とフヨウは静まり返った冷たい空間で微笑んだ。
そして、フヨウは静かに窓から外に出る。満月は相変わらず空に佇んでいる。しかし、月には僅かに黒い雲がかかっていた。フヨウは気掛かりだった。それは、フヨウの言葉の後、一瞬だけサクの見せた表情だった。
「貴殿がそのような顔をするから」
私の行く先が決まってしまったではないか、とフヨウは続け、薄らと笑った。脳裏に焼きついた青年の悲しげな表情。それを見てしまってからには、放っておくことはできない。
フヨウは音無く地面に降りると、そのまま宿に向かった。
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