The Night Monarch
Crystal of the Darkness


 目の前には鬱蒼と茂る森。背後に広がるのは荒地。夜が明けようとしている空を、サクは眺めた。懐かしい、とは感じる。ただ、それは異様に重くて、サクにとっては、不快以外の何ものでもなかった。感慨に浸っている暇はない。しかし、サクは、前に進む気になれなかった。
 サクは舌打ちした。ただでさえ、考えることは多いのに関わらず、嫌なことを思い出してしまったのだ。フヨウの言葉は、ある人物を髣髴とさせるのに充分であった。彼女は、フヨウと全く同じことをサクに問うたわけではなかった。しかし、結局は同じだった。その時もサクは答えを返せなかった。
 フヨウの血のような赤ではなく、燃える炎のような赤い髪をした少女。同じ赤でも、全く違う。そして、彼女の纏う物も夜闇ではあったが、明らかにフヨウとは異なっている。しかし、二人はあまりにもよく似ている。否、二人に対するサクの認識が、極似しているのだ。
「姫様、あんたの所為で……」
 救う、なんて言葉は、彼女にはあまりにも無礼だ。違う。サクが後悔していたのは、彼女を理解できなかったことである。忘れようと逃げていた問いかけ。サクには自覚があった。フヨウに言われなくとも、理解していたのだ。ただ、サクには乗り越える力はなかった。
 サクはそんな自分が腹立たしくて仕方がなかった。そして、全く変わっていない自分が悲しくて仕方がなかった。
 薄らとした灰色の空を、サクは眺める。雷の国。そう呼ばれるぐらいなのだから、空はどす黒い雲に覆われている日が多い。その方がまだ良かった。サクにとって、灰色の空は、まるで自分を映し出しているようで、目を背けたくなるようなものだった。
 サクは、鬱蒼と茂る森林を見据えた。弱音を吐かないなどということは、当然のことだ。サクは、完璧な結果を出さなければいけない。それも、本来ならば当然のことなのだ。


 フヨウは宿に戻った。真っ暗な宿の中を歩く。サクが何かを抱えていて、自分が思い出させてしまった、ということは分かっている。自分がサクの心に踏み込んでしまったのは確実である。それが今回の件と関係があるのかは分からない。ただ、サクをさらに追い込んでしまったことは事実だ。しっかりと助ける必要がある。
 サク・セイハイは危うい。ただ、決して弱者ではない。弱者ではないどころか、「上に立つ者」として、常に完璧が求められてきたはずだ。サクは紛れもない強者だ。強者として育てられ、強者となったのだ。弱者は誰かに一番に手を差し伸べてもらう権利があるが、強者にはない。それが平等であるか、不平等なのかは問題ではない。ただ、多くの社会が、そういう現状であるというだけだ。
 フヨウ静かには部屋の扉を開けた。
「クリス嬢、起きていたのかね」
 真っ暗だと思っていた部屋にはランプか点いている。ベッドの上にはガウン姿のクリスがいた。寝たふりをしていたのだろう、とフヨウは思った。失態である。フヨウは怒られることを覚悟していたが、意外にもクリスは穏やかだった。
「サクは、見つかったの」
 クリスは冷静に尋ねた。夜特有の掠れ声は、いつもよりずっと弱弱しい。フヨウは少し考えた後、口を開いた。
「彼は雷の国に戻った。並々ならぬ事情があるようだ。私は彼を助けに行く」
「雷の国ね。私も行くわ」
 クリスは即答した。クリスが一瞬の迷いも見せなかったことに、フヨウは驚く。
「あいつは、本当に強いけど、脆いから、私たちで支えてやらないとね。どうせ、何か抱え込んでるんでしょ。本当に手のかかる仲間だわ」
 呆れたわ、とクリスは笑う。その笑顔は、姉が弟を心配するような笑顔だった。
「気がついていたんだね」
 クリスもサクも似ているのだ。繊細で、聡く、心優しい。サクはくすんだ様な優しさを持っていて、クリスは明るい優しさを持っている。二人の瞳の青が、同じ青という言葉で言い表すことができたとしても、全く違うように、二人の優しさも違う。当然、二人の聡明さも違う。ただ、似ているのだ。
「当たり前よ。サクとは家出同盟だから」
 にやりとクリスは笑った。まさか二人が話し合って、そんなものを作るはずがない。ただ、ここまで同じとは、とフヨウは思い、声を出して笑った。
 すると、クリスがフヨウについて尋ねる。フヨウは笑うのをやめ、色々あってね、と穏やかに微笑んだ。同じ、親元を離れて旅する者でも、フヨウと二人は違う。フヨウは出てきたのではない。出て行かされたのだ。しかし、フヨウはそのことについては、それ程気にしてはいなかった。
 そんなことよりも、考えるべきことがある。クリスとフヨウは、雷の国への交通手段について話した。葉の国から雷の国まで徒歩で行くには、一ヶ月はかかるだろう。かと言って、サクのように強制瞬間移動を使える者はいない。結局、二人は明日になってジェイクを入れて考えることに決めた。しかし、フヨウもクリスも、ジェイクを入れたことで、解決に繋がるとは思っていなかった。
 クリスがランプを消す。フヨウは毛布に包まり、目を軽く瞑る。暫くすると、クリスの寝息が漆黒の空間に響き始めた。フヨウは、クリスが眠るのを確認すると、窓の傍まで歩き、夜空を見た。何かが、呼んでいる気がしたのだ。
 静かに窓を開ける。優しい風と共に、木々のざわめきが暗い部屋の中に入ってくる。しかし、入ってきたのは、それだけではなかった。
 フヨウは窓を閉め、振り返った。部屋の隅に、ぼんやりとした小さなランプが見える。そして、そのランプを持っている少女が、失礼致します、と深々と頭を下げている。黒い髪に黒い瞳。そして、黒い服。フヨウと同じぐらいである少女は、顔を上げた。
「今晩は、フヨウ様。私は、とある御方の魂精霊を勤めさせて頂いております、アズサ・ウィザードです。私の主人が、貴女様をお助けしたい、と申し上げ、参上した次第で御座います」
 フヨウは目を細めた。危険な人物ではないはずである。ウィザードと名乗りながらも、少女からは魔力が感じられない。さらに、丸腰である。
 魂精霊とは、生物に精霊石を使い、主人の魔力で以って精霊となった者のことを言う。フヨウと交流のある精霊とは、根本的に違う。ただ、精霊石の入手は困難で、それを手にすることができる者は限られている。
 しかし、何がどうであれ、フヨウはこの少女、アズサを知らない。
「今晩は、アズサ嬢。悪いが、貴殿の主人と、貴殿の主人が私を助けたいと思った理由を教えてくれるかね」
 フヨウは尋ねた。するとアズサは、少し考えてから口を開いた。
「私の主人は、闇を統べる姫君と呼ばれております」
 フヨウは薄らと笑みを浮かべた。驚いたのだ。闇を統べる姫君、と呼ばれる者は、四界でただ一人、妖界王の次女であり、王位継承権第一位の姫君である。力と勇気を何よりも重要視する妖界に相応しい戦闘能力と頭脳、そして冷酷さを持っていると言われている。勿論、フヨウは会ったことがないのだが。
「フヨウ様がお困りになっていることの、種を蒔いたと……」
 そこで漸く、フヨウの中で全ての辻褄が合った。サクは魔界で一番力を持つ民族宗家の嫡男である。サクと姫君が会ったことがあったとしても、不思議ではない。
 これで宜しかったですか、とでも言うように、アズサは微笑む。
「アズサ嬢、感謝する。姫君にもお伝えしてくれ。感謝をしていると」
 フヨウがそう言うと、アズサは一礼し、では、と立ち去ろうとする。フヨウはそれを、少し待っていただけるかな、と言って止めた。首を傾げるアズサにフヨウは尋ねた。
「貴殿は幸せかね」
 それは、フヨウがずっと尋ねたいと思っていたことだった。魂精霊は主人が死ぬまで死ぬことは許されない。姫君は非常に長命のはずである。五十年、百年。そのぐらいでは、ほとんど姿は変わらない。かつても、彼女は普通の人間だったであろう。
 アズサは一瞬驚いたようであった。しかし、すぐに笑顔になる。
「ええ、本当に幸せです」
 細められた漆黒は明るく輝いている。あまりにも無邪気な笑顔で、フヨウは驚いた。彼女は思慮深いだろう。ただ、彼女は妖界の人間ではない。それでも姫君は、貴重な精霊石を使ってまで、彼女と共に生きることを選んだ。姫君にそうさせたアズサの力、そして何よりも姫君の考えに、フヨウは感嘆した。
「是非、姫君に一度お会いしたいものだな」
 闇を統べる姫君も、素晴らしい人物であることは間違いない。フヨウがそう言うと、アズサは笑顔で、伝えておきます、と言って消えた。
 フヨウはゆっくりと窓を開けた。風と木々のざわめきが飛び込んでくる。そして、屋根には、子どもの大きさほどもある銀色の羽が一枚、落ちていた。それは満月の光を浴びてぼんやりと光っている。
「流石、闇を統べる姫君だ」
 フヨウは穏やかに笑い、何もせず、そのまま窓を閉めた。そして、翌朝の二人の反応が楽しみだ、と思い、声なく笑った。


 翌朝、宿の食堂でジェイクにクリスが事情を話した。ジェイクは朝食のパンを頬張りながら、黙って聞いていた。そして、交通手段の話になったとき、漸くフヨウは口を開いた。
「それについては問題ない。荷物を纏めて外に出たまえ」
 その言葉に、ジェイクまでもが驚きの声を上げた。フヨウは二人の様子を見て、ふわりと微笑む。何故かと尋ねるクリスに、お楽しみだ、とだけ言って、フヨウはばっさりと切り捨てた。いつになく物凄い速さで荷物を纏めるクリスの姿を、荷物の少ないフヨウはゆっくりと眺めた。
 フヨウは、サクの仕事である宿の受付でのチェックアウトを済まし、クリスとジェイクと共に外に出た。木々のざわめきが聞こえる。そんな中、突然突風が吹いた。
 上空に姿を現したのは、大きな鷲だった。銀色の翼に、美しい金色の嘴と、アンバーの瞳。朝日で煌くその姿は、誰もが見惚れるような姿である。シルバーイーグル。絶滅寸前の種族である。
 フヨウは微笑んだ。闇を統べる姫気味に相応しい使いである。そして、当然驚きの声を上げる二人を見る。フヨウはマントを巻きつけた。シルバーイーグルに乗るのは二回目である。
「ちょっと、フヨウ……」
 嬉しさと興奮、そして驚きが入り混じった声である。そんなクリスたちに、フヨウは笑いかける。
「クリス嬢、ジェイク殿。荷物をしっかりと持つことを強くお勧めする」
 更に強い風が吹いた。豪風である。フヨウは体がふわりと浮かぶのを感じた。体が横になり、宙に浮かぶ。しかし、すぐにぶわりと柔らかい羽毛の上に落とされた。
「クリス嬢、ジェイク殿、無事かね」
 フヨウは銀色の羽毛の上に座って言った。シルバーイーグルが失態を犯すとは到底思えないが、念のためである。すると、鮮やかな青い空の見える何処かから、僅かな怒りを含んだ明るい声が響いてきた。
「フヨウ、こうなるって知ってたなら、先に言いなさいよ」
 クリスとジェイクが、にょきりと胴の影から顔を出す。
「これは失礼」
 空は限りなく青い。フヨウは銀の翼を見た。明るい銀である。そう、ここは光の世界だ。心地良い風吹く中、漸く二人も座る位置を決めたらしく、ほっと溜息を吐いていた。
「それで、この巨大な鷲は……」
 ジェイクが尋ねる。フヨウは銀の翼に目をやった。柔らかい銀色は、本当に美しい。
「使いだよ。シルバーイーグル。誇り高き種族だ」
 素晴らしい旅にしてくれるだろうね、と言って、フヨウは笑った。

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