The Night Monarch
Empty Moon
フヨウは二人が眠り込んだ後も起きていた。陸路と海路では一週間で到底行けない地も、空路では数日で行くことが可能である。もう、シルバーイーグルでの旅も終わりに近づいている。満月だった月は、もう半月に限りなく近い。
しかし、次第に漆黒の雲が見え始めるている。月は薄らとした雲に隠されていく。もう近いのだ。
「月も太陽も見えぬ国。悪いね。貴殿もこれからが大変だろう」
フヨウがそう言うと、シルバーイーグルはまだ起きているらしく、カカッ、と声を上げた。
シルバーイーグルは賢かった。必需品補給のために、下ろしてくれる場所は、大きな町の近くだった。さらに、人の言葉が理解できるのも、フヨウは確認済みである。闇を統べる姫に仕えているだけはある。
フヨウはジェイクの鞄から、薄い布を取り出した。防水布である。もう、雷の国はすぐそこである。フヨウは取り出した淡い青色の布を広げ、二人に被せた。そして、荷物を全てそれに入れ込み、失礼、と言い、僅かにそっと大きな羽を上げ、中に布を挟み込む。これで、二人が濡れる心配はないだろう、とフヨウは思い、微笑んだ。
もう、月は見えない。暗い雲。フヨウはフードを被った。間も無く大きな雨粒が、一つ二つと落ちてくる。そしてそれらは、次第に大雨と呼ばれる物になっていく。
次第に高度が下がっていく。雲の合間から見えたのは、深い森の中に佇む純白の城である。壁には美しい装飾が施され、豪華な柱は巨大な城を飾る。魔界一番の権力を持つ民族、セイハイ族の居城である。
漆黒の世界で、その白は輝いていた。影すら映らない白。何にも染まらない迷いのない純白だ。それは、フヨウには、追ってきた青年とは、縁のないものに思えた。
フヨウは空を見た。漆黒だ。白の輝きとは全く関係のないような黒。この色も、何にも染まらないのだ。揺れる事無くずっしりと空に構えるその姿。それは、夜の闇ではない。
青年は、光の魔法を嫌う。そのくせ、光の象徴のような、クリスやジェイクを守ろうとする。そして、闇の魔法を好む。そのくせ、闇と結び付けられた夜の君主であるフヨウを嫌う。そして、そんな青年は、結局光も闇も遠ざけている。
白か黒かの世界。フヨウには、彼が全てを遠ざけようとする理由が分かった気がした。青年は、この国で絶望を知ったのだろう。強い光には暗い影が必ずついて回る。しかし、それだけではない。白か黒かの世界は、人間的ではないのだ。
青年に、この国は、似合わない。フヨウはそう思った。迷い、傷つき、揺れる。それが人間なのだ。そして、その全てを常にちらつかせる青年は、人間らしい存在なのだ。
稲妻が走る。黒を割る紫電は美しい。周囲が暗ければ暗いほど、輝きは強くなる。
しかし、フヨウもこの国は好きではなかった。この国には、昼も夜もないのだ。この国の天候、そして白の輝き全てが、魔法によって支配されている。フヨウは、魔法が嫌いだった。否、嫌わなくてはならない存在だった。
「魔界雷の国。サク殿を生んだ国……申し訳ないが、好きにはなれないね」
激しい雷雨の中、フヨウは薄らと笑った。もう、城はすぐそこだ。
シルバーイーグルは、ぐるりと城の周りを一周して、正面の純白の塔ではなく、背後にある灰色の塔の傍に下ろしてくれた。灰色の塔は、石造りで、正面の純白の塔よりもずっと小さかった。窓には蜘蛛の巣が張っている。人気はない。
塔の周りには、シルバーイーグルが下りるのに充分な土地が確保されていた。その完璧な判断に、フヨウは感心する。
急いでクリスとジェイクを起こし、とりあえず、未だ寝ぼけている二人を、近くにある樫の巨木の下に移動させる。それからすぐに荷物を纏め、樫の巨木の下に置くと、フヨウは再びシルバーイーグルの元へ向かった。
「聡明な貴殿と、貴殿の主人に、深く感謝をしている」
フヨウがそう言って礼をすると、シルバーイーグルは、その首をゆっくりとフヨウの方に向け、一声鳴いた。雷雨の中、嘴には水が滴っている。ぼんやりと光る滴は、勿論、フヨウにも容赦なく降ってくる。瑞々しいが、灰色ではなく、黒い世界。そんな世界の中で、羽ばたこうと翼を広げたシルバーイーグルの銀は、生命力に満ち溢れているようだった。
シルバーイーグルが飛び立つ。フヨウは穏やかな笑みを浮かべ、呼びかけた。
「Farewell、いつか再び、貴殿とお会いできることを望む」
言語統一魔法により、補正がかからない古代語を織り交ぜた言葉は届いていたのだろう。シルバーイーグルの伸びやかな声が、漆黒の空に響いた。
フヨウたちはしっかりと荷物を纏めた。荷物を纏め終わった後、目立たないように大木の影で、三人は激しい雷雨を凌いでいた。
フヨウは、目の前に聳える石造りの塔を見上げた、灰色の塔の窓には、鉄格子が填められている。牢だろう、とフヨウは思った。自由に動ける者が少ない牢は、情報収集には打ってつけである。石造りの塔は高い。勿論、手前の純白の巨大な塔には負けるのだが。
「立派なお城ね。家出が騒動になるなんて、サクは王子様か何かかしら」
クリスが奥の方にある、高く聳える塔を見ながら、悪戯っぽく笑った。
「王子ではないが、魔界一の権力を持つ者の御嫡男だ。遠くはないだろうね」
フヨウは穏やかに笑う。王家と言うよりも、帝国と言った方が適切ではあるだろう、とフヨウは思った。しかしクリスは、サクがセイハイだということを知らないのだから、良い勘をしているのは事実である。
雷は相変わらずだが、目の前の水溜りは、水面が少しずつ穏やかになっていく。
「では、そろそろ参ろうか」
フヨウは立ち上がった。クリスとジェイクも立ち上がり、三人で塔の真下へ走る。フヨウはフードを被っていたが、二人は雨を凌ぐ物がない。そのまま塔の壁に沿って走る。
しかし、灰色の中で、唯一光る銀色の鉄格子の前で、フヨウたちは立ち往生することになる。
「牢獄の入り口に鉄格子があるのは、当然ではあるね」
さてどうしようか、とフヨウは薄らと笑みを浮かべる。鉄格子は高いが、フヨウが乗り越えるには、不可能ではない高さだ。ただ、二人は違う。中にいる者を出さぬために作られた鉄格子を、魔法で破壊することができるかという問いは、否である。クリスは悪態を吐いている。
しかし、願ってもみないことが起きたのだ。鉄格子の向こうから、魔法使いらしいローブを着た者たちが、走って来たのだ。その顔は、堅く、友好的とは言い難かった。それが示すことは、ただ一つである。
「やはり、穏便には、ことが運ばないようだね」
フヨウはしみじみとそう呟きながらも、魔法使いの人数を調べる。クリスたちがいる中、無駄な殺傷は避けるべきだし、サクの身内の骸の中から、やあこんにちは、などとサクに挨拶するほど、フヨウの神経は太くない。だから、それが可能であれば、フヨウは戦いたくはないのだ。
「あいつらを潰せば良いのね」
そんなことを考えているフヨウを尻目に、クリスは腕捲りをし始めた。ジェイクは、隣で重い溜息を吐いている。
「何者だ」
鉄格子の前にずらりと魔法使いが並ぶ。戦いは始まっていないものの、古めかしい木の杖を向けられている状態から、穏やかな状況とは言えない。
「サク・セイハイ殿と共に旅をしている仲間であるが、彼に会わせてくれないかね」
鉄格子が勢い良く上がった。空気が一気に収束する。フヨウは魔法使いの腹部だけを見ながら、魔法使いの腹部に拳を入れる。フヨウは当然、拳よりも剣の方が得意だが、そんなことを言っていられない。塔の内部に入り、襲い掛かってくる魔法を避けながら、魔法使いに一気に近づき、力でねじ伏せていく。生じた一瞬の余裕で、フヨウはクリスとジェイクの姿を確認する。
フヨウは驚いた。二人は戦っていたのだ。さらに、一瞬しか見ることはできなかったのに関わらず、二人の動きが素人の物ではないことをフヨウが認識するほど、二人の動きは良かった。
フヨウは、最後の魔法使いを床に叩きつける。静まり返った天井の高い塔。天を仰げば、巨大な硝子細工が吊るされているのが見える。牢獄にしては、石の壁に刻まれた模様や、所々の硝子の装飾は、あまりにも豪華である。流石、セイハイ、と言ったところか。フヨウは、周囲を見渡す。クリスとジェイクも怪我はないようで、興味深げにあたりを見渡している。
「クリス嬢、ジェイク殿、急ごう。彼らの中の一人ぐらいは、余程思慮足らずではない限り、報告へと向かっただろう。大量の兵士や魔法使いが来るのは時間の問題だ」
クリスとジェイクはすぐにフヨウの方を見て、頷いた。さして、ランプで照らされた不気味な薄暗さを持つ塔の奥へ、フヨウたちは入っていった。ひんやりと冷たい空気の中、足音だけが不自然なほど響いていた。
途中、フヨウたちは魔法使いらしい人物に何人か遭遇したが、すぐに対処した。鳩尾に一撃を与え、早足で前へ進んでいく。一本道の先に漸く現れたのは、狭い螺旋階段である。灰色の階段をフヨウたちは登る。天井が高いだけあって、階段も長い。フヨウは、幅が狭く急な階段を、慎重に登っていった。先頭を行くフヨウが階段を踏み外してしまえば、後ろの二人も巻き添えになってしまう。
漸く見えてきた床。フヨウは最後の数段を飛び越し、床に着地した。そして、漆黒のマントの看守が何かを言う前に、一気に間合いを詰め、容赦なく鳩尾に拳を叩き込む。
フヨウは周囲を見渡した。牢が並んでいる。フヨウが見る限りでは、人はいない。静まり返った冷たい鉄格子の合間で、漸く上がってきたクリスたちを見ながら、フヨウは先ほどから薄々感じていた疑問を考えていた。
セイハイのこの巨大牢獄は、看守が少なすぎるのだ。さらに、数少ない看守は、皆魔法使いである。フヨウは横たわる男を見た。銀髪である。この男の目は閉ざされているが、フヨウはそれが鮮やかな青色をしているのを確認している。そう、看守の魔法使いたちも皆、セイハイばかりなのだ。
セイハイは、雷の国の領主である。だから、当然、軍隊を持っている。普通なら、身内だけで牢獄を守らなければいけない状況になるはずがない。そして、それにサクが関わっている可能性も高い。今まで家出していた者が、簡単に家に帰ろうとするはずがない。何かある、とフヨウは確信していた。
「案外、簡単に上れたわね」
「立派な城だけど、案外守りは手薄だな」
クリスとジェイクも、前に進みながらそう話している。魔界の情勢をほとんど知らないと言っても、過言ではないような二人でさえ、違和感を感じているのだ。フヨウは用心深くあたりを見渡した。しかし、廊下どころか、牢にも誰もいない。
フヨウたちは歩いた。しかし、すぐに、とある牢の前で立ち止まった。
鉄格子の向こうで蹲っているのは、乱れてしまった鳶色の髪と、細い手足。規則的に肩が揺れいてるところからして、生きているのは確実である。クリスは驚いたのか、小さく叫び声を上げ、フヨウの顔色を窺っている。この状況で、判断をするのはフヨウである。
「私はフヨウ。旅の剣士であるが、貴殿の御名は何と」
フヨウが、冷たい床に座り、ゆっくりと尋ねると、ふと顔が上がる。やつれた顔をしているが、若い青年である。青年は緊張した面持ちで、不安げにフヨウを見ていた。鳶色の瞳が、すっと細くなる。
「シヴァ」
シヴァ。月のない夜を司る神の名である。フヨウは薄らと微笑む。このような名前を使う種族は限られる。
「貴殿はエルフかね」
フヨウがそう尋ねると、シヴァは頷いた。クリスとジェイクは驚いた様子で、シヴァを見た。シヴァはそんな二人に気付いたのか、困ったような優しい笑みを浮かべながら、伸びてしまった髪を上げる。鳶色の細い髪の合間から見えたのは、先の尖った耳である。
「何故此処にいるのかな」
二人がシヴァに礼を言い終わったのを見てから、フヨウはそう尋ねた。すると、青年の鳶色の目が伏せられる。
「セイハイの、木の実の取立てに応じられずにいたら、入れられてしまいました」
低い声でゆっくりと呟かれた言葉は、それにシヴァ自身が納得していない、ということを理解するのに、充分だった。拳を握る気力もないのか、指は軽く曲げられただけだった。それでも、彼の怒りは、その空間に充満していた。
「それだけの理由で、入れられてしまったの」
クリスが、信じられない、といった表情でシヴァを見た。天界は完全な民主主義政治だ。未だに封建的な魔界で、平然と行われることを、変だと思うのは、普通のことである。その点、魔界人であり、そのような考え方の中で生きてきたフヨウにとっては、特に驚くべきことでもなかった。
「雷の国では、セイハイの圧政により、森のエルフが苦しんでいると聞いているよ」
フヨウは曖昧に言った。
セイハイのエルフ酷使の噂を、フヨウは精霊たちから聞いていた。雷の国は小国だ。しかし、経済状態は非情に安定している。広大な森で取れる木の実を、エルフを働かせて採取し、売っているからである。それは、エルフと仲の良い精霊たちの間では、かなり話題になっていた。精霊たちは、セイハイを非難したが、フヨウはそれについて咎める気はなかった。慈悲の欠片もないね、と思い、フヨウは心の中で自嘲する。
「ところで、貴殿はサク・セイハイを知っているかね」
フヨウは尋ねる。すると、シヴァは目を丸くし、身を乗り出した。
「サク様で、ございますか」
鳶色の瞳は、ランプに照らされ明るく光っている。フヨウは目を細める。この反応ならば、正直に物を言っても、教えてくれるであろう。フヨウは安心した。
フヨウは考えた。サクは、セイハイで、彼らの抑圧者である。しかし、思い浮かんだのは、海の国での魔法。サクは心優しい。虐げられるエルフを放っておくことなどしないだろう。
「私たちは、彼の旅の仲間だ。おそらく、この国に戻って来ていると思う。居場所を知っているのならば、是非教えて欲しい。彼を助けたいんでね」
「サク様が戻っておいでなのですか」
シヴァはついに立ち上がった。希望に満ち溢れた顔に、フヨウは驚く。不安定な色彩を醸し出す青年は、これほどまでに人に希望を与えているのだ。サクの優しさや、強さは目立たない。しかし、しっかりと彼はそれらを持っているのだ。
「私は、此処にずっといたので、分かりませんが、事情は、森のエルフに聞くべきです。この国に戻って聞いてるということは、遅かれ早かれ、森のエルフとは接触すると思います」
シヴァは説明する。シヴァの顔は、ランプに照らされ、明るかった。
「城にいるという可能性はどうかね」
フヨウが尋ねると、シヴァは僅かに表情を曇らせた。
「捕えられているのならあり得ます」
フヨウは、クリスとジェイクの方を向く。
「二手に分かれないかね。貴殿らは、エルフの森でサク殿を探す。私は城を探そう。おそらく、サク殿は森にいる可能性が高い。彼は優秀な魔法使いだ。捕えることは難しい。是非、貴殿らに探してもらいたいのだ」
フヨウは考えた。エルフの森ならば、彼らがクリスとジェイクを匿ってくれるだろう。敵ばかりの城よりはずっと安全だ。サクは、フヨウが二人と共にあり、二人を守ることを望むだろうが、こればかりはどうしようもない。フヨウも、サクに一刻も早く接触したかったが、クリスとジェイクの身の安全が優先だ。それに、誰かが城に行かなければ、状況が掴めない。エルフの情報にも期待ができないだろう。二人の身の安全のためにも、最低限の情報は必要だ。
クリスとジェイクは頷いた。そこまで状況が理解できていないのだろう。フヨウは二人に早く行くようにと言った。二人は階段を降りていく。フヨウは、二人が見えなくなったのを確認すると、シヴァの方を見た。
「サク殿について、聞かせて欲しい。彼は、貴殿らの味方かね」
「ええ、サク殿は私たちの味方です」
フヨウがそう尋ねると、シヴァはそう言って、穏やかに笑った。安心しきったような、希望に満ちた笑顔に、フヨウは微笑む。
「奥に行けば、城と繋がる通路があるはずです」
シヴァは、廊下の奥を指差した。暗い廊下の先には、二つの松明が見える。フヨウは薄らと笑った。
「感謝する。だが、私は城へは正面玄関から入られて頂こうと思っている」
フヨウはシヴァに笑いかける。
「何故ですか。そんな真似、本当に危険ですよ」
フヨウはくすりと笑った。
「他人の御屋敷に訪問するんだ。無礼は慎むべきだろう」
呆然としているシヴァにフヨウは、では、と微笑み、丁寧に礼をした。そして、長い髪を振り払い、ぶわりとマントを揺らしながら、暗い階段を降りていった。
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