The Night Monarch
Black Responsibility


 フヨウは悠々と城を出て行き、門から出た。門番はいない。しかし、森は静寂に包まれているとは言えない状態だった。人々の罵声や、大規模な魔法が使われる音が行き交っている。
「これは、大変なことが起きているらしいね」
 フヨウは跳躍し、近くの木の枝に飛び乗った。クリスとジェイクが加わったことで、何かが動いたのだろう。門番までもが出て行かなければいけないような状況へと変化したのだろう。艶めく深緑の葉の合間を、枝の太さを確認しながら、フヨウはゆっくりと進んだ。当然葉の擦れる音は出る。しかし、それが目立たないほどまで、森は荒れていた。
「この森には精霊がいないね」
 魔法で支配された世界。この世界に、昼も夜もない。昼や夜の精霊がいないのはフヨウにだって分かる。しかし、この森には、木の精霊も花の精霊もいない。
「これはサク殿に謝るだけでは、駄目なようだね」
 木々の合間から空を仰ぐ。創られた壮大な空を。ここは魔法によって創られた世界。仕事が増えた、とフヨウは思った。しかし、口元にはいつもの微笑が浮かんでいた。
 ぐらりと世界が反転する。凄まじい閃光。フヨウは目を細めた。近い。フヨウはさらに高いところに飛び乗り、強力な刺激を感じた方角を見た。そこでは、木が吹き飛び、大きな土煙が立っている。威力からして、エルフではない。セイハイだ。
「そういえば、領主殿に御挨拶がまだだったね」
 跡継ぎとなるはずの家出青年と、現当主である父親。流石のサクでも、穏便に物事は進めることはできないだろう。頭に血が上って、逆上するなどということもないだろうが。しかし、サクのような思慮深い性格の者の中には、突然大胆な行動に出る者が多いのも事実である。
 フヨウは木から一気に飛び降りた。枯葉の上に軽く着地する。フヨウは先ほど土煙の立った場所まで走ろうと思ったが、その必要はなかった。
「やあ、サク殿。久しくお会いしていなかったね」
 木々の合間から勢いよく走ってきたのは、サク・セイハイ。体には泥や枯葉がついている。表情からは落ち着いている状態であるということが分かるが、走って逃げてるということは危険な状態にあることき確実だ。
 サクは、フヨウを見つけた瞬間、驚いたような表情を見せた。しかし、それは一瞬だけのことだった。困ったような、呆れたような表情。鮮やかな青は、いつになく揺れていて、何かに迷っていることが容易に分かるような状態だった。フヨウは、サクが困惑している理由が分からず、不思議に思ったが、とりあえず当初の目的を果たすことにした。
「先日は申し訳なかったね」
 サクが隣を抜かしていこうとするとき、フヨウは走り出した。すぐ後ろで言ったのに関わらず、サクは何も言わない。困っているのか怒っているのかフヨウには分からなかった。その上、後者ならばその理由が分かるのだが、前者ならばフヨウには分からない。
「今は、そこまで気にする必要はないよ。すぐに解決できないものは、人生の課題にすれば良いからね」
 そこまで言って、漸くサクは口を開いた。それでも、フヨウと目を合わせようとはしなかったが。
「クリスとジェイクはどこにいる」
 大きくはない声だった。ただ、それは騒々しい森の中でも、十分と聞き取れる声だった。
「一言で言うと、彼らはこの森の中にいる」
 横顔は無表情にしか見えない。サクが何を思っているのかが、フヨウには分からなかった。フヨウは目を見て表情を判断する。深い森の中を駆け抜けている時には、目は見えない。
「ところで、貴殿はどうしたのかね」
 そう尋ねても、やはりサクは沈黙を破らない。フヨウの想定内だったため、フヨウはすぐに口を開く。
「私はセリ譲と、カナン譲に会って来たよ」
 サクは、フヨウの方へ顔を向けた。
「まさか、城へ」
 その顔は、怪訝を孕んだ驚愕を表しているかのようだった。驚くなど珍しい、とフヨウは思いつつ、何故なのか理由を考えた。
「安心したまえ。玄関からお邪魔したよ」
 フヨウがそう言うと、サクは再び黙り込んでしまった。フヨウは何故黙り込んでしまうのかが分からなかったが、追い手を撒いたということ分かったので、近くの藪の影に座った。サクも隣に座る。
 後ろには大木。前には藪。見通しは悪いが、追っ手の気配は完全に消えている。
「当初の目的は貴殿に謝ることだったんだ。しかし、どこにいるのかが分からなくてね」
 フヨウは、僅かに息が切れていたため、それを落ち着かせるように息を吐きながら言った。そんな中、平然としているサクは、すぐに尋ねた。
「どうやって、ここまで来た」
 サクは、クリスとジェイクがそれほど魔法が得意でないことは分かっている。フヨウも魔法を使わないため、瞬間移動も無理である。サクはそれを踏まえた上で尋ねてきている。フヨウは重い空を仰いだ。夜闇とは全く違う黒。フヨウの愛す黒ではない。生暖かい黒だ。
「空だよ」
 ピシリと閃光が走った。
「この国の空は濁っているね」
 サクは黙ってフヨウを見ていた。ぐらりぐらりと揺れる瞳は相変わらず。ただ、何かを考えながら聞いていることは確かだった。
「違うね。この国は全てが濁ってる」
 サクは目を細めた。サクはいつだって真剣にフヨウの話を聞いている。分からなかったらそれについて尋ねる。今、話すのをやめたら、確実に意味を尋ねられるだろう。そう思ったフヨウは、話し続ける。
「黒か白かの世界。それなのに、何故か濁っているんだろうか。否、歪められているのだろうね」
 木々の先に僅かながら輝く純白が見える。天は重い黒。だが、それでも濁っているのだ。満ち溢れる濁った魔法の力で、空は歪められている。昼も夜もない世界。世界が歪められているといっても過言ではない。
 天を仰ぐサクは理解をしたようだった。サクは何か意見がある場合、必ずそれを言う。今回はそれがない。納得したのだろう、とフヨウは思った。
 フヨウはサクを見た。フヨウにも、サクに尋ねるべきことがある。フヨウは尋ねた。
「ところで、貴殿は如何したのかね。親子喧嘩をしたのかね」
 そして、フヨウはサクが口を開く前に続けた。
「もしくは、四界に魔法を向けたのかな」
 サクは口元に笑みを浮かべた。自嘲を含んだ笑みである。
「妖界、エフィアに追いかけられている」
 体は父親のものなのだろう。エフィア。フヨウはその名を記憶した。
「ところで、何故あんたは、僕の母親の中に奴が巣食ってると分かったんだい」
 誤魔化させることは許さない。まるでそう言っているかのように、青が一瞬強くなった。フヨウは穏やかに笑った。
「酷く違和感がするんだ」
 人間ではない。フヨウは見るだけで分かった。フヨウにも何故かは分からない。ただ、妙な違和感があるのだ。その動きの一つ一つに違和感があるのだ。操られている。予備知識のあったフヨウは、瞬時にそれに辿り着くことが出来た。
「やはり、自身の体ではないからだろうね」
 自分の体と人の体は違うのだ。動かしている者は、少なからず違和感を感じているはずだ。それが、何らかの形であらわれていたのだろう。フヨウはそう考えた。
「人間は神になってはいけないね」
 フヨウがそう言うと、サクの目にさっと影が差した。途端に目つきは鋭くなる。聡いな、とフヨウは思った。まだ何も言っていないのだ。それでも、彼は警戒している。フヨウは一瞬どうしようかと迷ったが、期待を裏切るのも悪いだろう、と思った。向こうが構えているのだ。今、話しておくのも悪くない。
「貴殿はこの世界で、立派に生きていたらしいね」
 ゆっくりとそう語りかけても、サクの目は変わらない。ゆらりゆらりと揺れているのに、宿る光は鋭いのだ。自覚はないだろう、とフヨウは思った。勘だ。頭ではなく、何かが警戒しているのだろう。サクのフヨウを嫌う何かと同じ物が。
「貴殿は聡い。私はいつも思うよ。私に違和感を感じる。それは、貴殿の闇と私の闇が引き合っているからではないんだよ。同族嫌悪ではない。でも、その違和感を感じることは、皆ができることではないよ。否、皆がしようとすることではない、と言った方が正しいかな」
 サクは目を細めた。サクの中で駆け巡る何かが、フヨウの言葉で具現化されたのだろう。今まで、分からなかった何かが。フヨウは微笑む。
 サクは聡い。本当ならば、全ての人が、何かによってフヨウに違和感を感じているはずなのだ。ただ、それに気付かない。サクは、フヨウを嫌いだと言った時点で、上出来なのだ。サクの闇は濃い。それも彼の認識を助けただろう。しかし、最終的に彼をここまでもってきたのは、彼の明敏さだ。
「兎に角、貴殿は聡いのだよ。この世界に自分の居場所をこじ開けた。用意された居場所ではなく、自分の作った居場所に留まった」
 サクは目を伏せていた。鋭い光は相変わらずだが。しかし、彼は否定をしない。何も言わない。
 サクは、元々多くを語らない性格だ。その上、言うことが定まっていない限り、たとえどんなに言いたいことがあったとしても、口を開くことはない。
 彼は操られることを拒否したのだろう。しかし、それを表に出さないようにしなければいけなかった。だから、両親を遠ざけたのだろう。身近な者を遠ざける、そのことによる足場のない孤独を脱出するためにも、彼はエルフたちの傍に居場所を作ったのだろう。
「貴殿は強いね」
 誰でもできることではない。誰かに教えてもらったわけではないだろう。彼には、純粋に彼だけのことを考えてくれる者がいなかったのだ。与えられた場所を拒否した。それを嘆くこともせず、自分の力で乗り切った。
「人間の儚さと、強さを、誰よりも持っている」
 サクは危うい。しかし、強いのだ。サクは男だ。女性的な儚さを持っているわけではない。彼が持っているのは、人間的な儚さ。迷い、揺れる。
「貴殿の強さのために、救われた人は何人もいたと思うよ」
 エルフはサクに希望を見出しているのだろう。セリは、サクを心から尊敬し、大切に思っていた。そして、クリスとジェイクは、命を守られている。サクは相変わらず目を伏せ続けている。しかし、それが僅かに開いたのをフヨウは見た。フヨウは慌てて続ける。
「勘違いしないでくれ。人を救うことが、私が貴殿を好きな理由だと言うわけではないんだ」
 フヨウは、サクのやったことが好きなわけではない。強くも儚い、人間らしいサクを気に入っているのだ。サクは再び、静かに目を伏せた。
 フヨウはそれを確認してから、息を吸った。フヨウが口を開こうとした時、サクの目が開いた。鋭い。奥は揺れているのだが、表面はまるで引き攣った硝子のようだった。
「私は知っているよ。創られた人間を」
 それでも、フヨウは続けた。
 サクはフヨウの方を見ようとしない。かと言って、何かを尋ねるわけでもない。見開かれた目は、斜め下の地面に向けられている。何を考えているのかはフヨウにも分からない。
「創られたとしても、創った者に従う理由などないと私は思っているよ」
 フヨウは穏やかに笑う。そして、すぐ続ける。
「人を創ったのだろう。人には、自由に生きる権利がある。貴殿が自由に生きれば生きるほど、それは創った者に抗うことであり、また従うことでもある。貴殿は人間だよ。創られた人間は、人間だろう」
 静かだった。相変わらず周囲は騒々しい。
 一体どのぐらい待っただろうか。フヨウは口を開いた。
「言いたいことが纏まるまで待つよ。何も此処で言う必要はない」
 フヨウは同情していたわけではない。ただ、彼は自分自身を上手く理解できていないのだ。まだまだサクの抱えている物は多い。フヨウはサクの言葉が聞きたかった。自分自身を僅かながらに理解したサクの言葉を。
「ところで、貴殿は何をしたいのかね。お詫びと言っては何だが、私のできることなら手伝わせて頂こう。ただし、私もするべきことがあるんだよ」
 サクはフヨウを見た。そして、フヨウは何をするのかを尋ねる。
「この世界を、少しばかり、全壊させる必要があるんだ」
 フヨウは、この狂った世界のある部分を、全壊させなければいけない。夜の君主として、夜を愛する者として。
「サク殿、落ち着いたかな。作戦を立てよう。私と貴殿のすべきことが成せて、さらにクリス嬢とジェイク殿と合流できるように」
 この狂った世界を変えなければいけない。フヨウの変えるべきところと、サクの変えるべきところは違う。しかし、変えるべき世界は同じなのだ。
 空は濁っている。ただ、鮮やかな青には、強い光が宿っていた。

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